旗艦スワロフが自由を失うまでに三十分とはかからなかった。 東郷の艦隊が最初の射弾をあびせかけたときに、前部煙突が吹っ飛び、第二回目の射撃のときに十二インチ砲弾が指令塔の覗
き孔あな にぶちあたって塔内の人員の一部を即死させ、過半を負傷させた。 このときロジェストウェンスキーは運つよく軽傷だけで済んだ。しかし彼は司令長官であることに絶望せざるを得なかった。 なぜならば、艦隊の有力な指揮手段である無電装置がこわれ、無電技師のカンダウローフが死体になって提督の足もとに転がったからである。各艦に対する彼の意思が通じにくくなった。もっともこの提督は東郷がその優秀な日本製無線機を好んだようには、そのスラヴィアルコ無線機を好まず、ほとんど旗旒きりゅう
信号に頼っていた。ひとつにはスラヴィアルコは故障が多かったともいうが、真因はこの提督の保守的性格にあったかもしれない。彼は無線指揮というものを頭から非能率的なものだと信じ込んでいたような形跡があった。この無線指揮については日本側とは対照的であったかもしれない。 日本側はもっとも優秀な将校を選んで通信科の水準を高めていたが、ロシア側はそういうこともせず、通信は軍人がやらずに技師が担当していた。これについては秋山真之がこの戦いが終わると真っ先に三六式無線電信機の開発者である木村駿吉を訪ね、 「勝利はあの三六式負うところが多かった」
とわざわざ礼を述べたということでも、両艦隊の性格がよく現れている。 ロジェストウェンスキーは顔中が血だらけになっていた。軽傷とはいえ、小さな鉄片で顔を割られていたのである。 そのあとわずか五、六分後にふたたび指令塔にぶちあたった十二インチ砲弾は、指令塔のあらゆる隙間から鉄片を問うな塔内にむかって噴射した。ロジェストウェンスキーは脚をやられて倒れ、イグナチウス艦長も、ノコギリの刃のような細片を両腕いっぱいに受けた。
提督は戦時治療室に運ばれた。艦長はそのあとしばらく傷に耐えていたが、さらに頭部をやられた。艦尾にいたセミョーノフ中佐がひたたび艦首へ行くべく指令塔に近づいたとき、ちょうど艦長が手すりにつかまりながら降りて来るところだった。 この艦長の陽気な性格はたれからも親しまれていたが、この時も平素と変わらず、 「たいしたことはないよ」 と、大声で言った。その背後に炎があがった。 セミョーノフが司令塔に入ると、そこは死骸だけの部屋になっていた。舵輪も原形をとどめないままに破壊されていた。 そのころ、後部主砲の砲塔につづけさま二発の砲弾が命中し、左砲は根もとから上へねじあげれれた。しかし砲塔そのものはなお旋回し、ときどき思い出したように右砲が咆哮ほうこう
した。 このころには水線部付近に大穴があけられており、海水が滝のように入って来て、艦が左へ傾いた。戦時治療室は中甲板にあった。この満員の病室にも命中し、その辺りが火になった。造船技師ポリトゥスキーはこの戦闘の日、軍医補助として白衣を着て負傷の手当てをしていたが、この火の中で戦死したかと思われる。ロジェストウェンスキーはちょうど戦時治療室から去ったばかりのときで、あやうく助かった。が、去る途中で左脚のくるぶし・・・・
をくだかれ、転倒した。 |