この間
の東郷の指揮は、ほとんど無謬むびゅう
といってよかった。 東郷は敵に打撃を与えつつ、ときどき艦隊の針路を変えた。変えた目的はつねに敵の前面を抑圧しつづけるためであった。 「三笠はつねにわが前面にいた」 と、ロシア側の諸記録はいう。常にバルチック艦隊の前面に三笠が姿を現すためには、東郷は無理な運動をしなければならなかった。 東郷は敵前回頭によって一度はバルチック艦隊の頭をおさえたが、しかしバルチック艦隊も航走している以上、彼我つねに同形を保てるというようにはならない。当初、東郷艦隊は北から来た。それがさまざまの陣形運動をかさねたすえ敵前回頭し、東北東へ航進した。こtれに対し、ロジェストウェンスキーの艦隊はいったんは首を東へ振って左舷で砲戦した。このかたちは東郷にとって望ましかった。 東郷はさらにより一層敵の頭をおさえるべく、午後二時四十五分、 「南東・二分の一東」 へ変針し、完全な形態としての前面圧迫の陣形をとった。この陣形によって東郷直率の第一戦隊とそれにつづく上村の第二戦隊は、敵に対して猛烈な縦貫射撃を加えたのである。 旗艦スワロフの指令塔にいるロジェストウェンスキーは、なすところを知らなかった。 スワロフは速力こそ衰えなかったが、猛煙につつまれ、人びとは消化に奔走した。 炎が消えると、あらたな砲弾が飛んで来てあらたな火災をおこした。 東郷が第一、第二戦隊に命じた午後二時四十五分の
「南東・二分の一東」 の変針のとき、スワロフの艦上にいたセミョーノフ中佐の実感では、 「東郷はまた新針路を進航してきた。三笠は単従陣を率いてわが艦隊の前面を横切ろうとするため、右方にまがった」 ということになる。 当然ロジェストウェンスキーに通常の戦意があるならば、彼の艦隊も東郷にあわせて右折・・
しなければならない。右折し、左舷の砲で戦うのである。 (提督はおそらくそうなさるだろう) と、セミョーノフが思ったが、しかしロジェストウェンスキーは依然進路を変えずにどんどん進んだ。おそらく東郷を右へいな・・
し、そのしっぽのあたりを突破するつもりで、ロジェストウェンスキーはいたのかもしれない。 しかしロジェストウェンスキーが戦術でもって艦隊をひきずってゆく時機は彼の艦隊の状態においては遅過ぎていた。そういう知的作業は開戦の前後の時間内でやるべきであった。今は司令長官の戦術よりも、各艦各砲の砲員の目と手と気力にかかっていた。彼我の距離はわずかだった。砲員たちは敵の艦影を見つけ次第射ちまくり、命中させつづけねばならなかった。ところがバルチック艦隊の戦艦の多くは火災をあげており、砲は破壊されたものが多く、生き残った砲も、艦をおおている火災や黒煙のために砲員たちの射撃操作が阻害され、いちじるしく命中率が落ちた。 それにひきかえ、一艦も燃えていない東郷側は、つねに風上かざかみ
に立つ有利さもあって命中率がいよいよ正確になってきた。
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