東郷とその艦隊のスワロフへの砲弾の集中ぶりはものすごいものであった。砲戦を開始して以来、数次にわたる戦闘中、スワロフに命中した日本砲弾は数百発以上にのぼったであろう。これからみれば三笠が蒙った命中弾数など、比較にならなかった。 記録を担当するセミョーノフ中佐は、出来るだけこの戦闘を網膜におさめようと思った。 セミョーノフは最初、後部艦橋にいた。 見物者であるセミョーノフの横に、さしあたっては暇なレドキン大尉もいた。レドキンは艦尾右舷六インチ砲の砲台長で、砲戦が左舷砲でもって行われている間は用がないのである。 セミョーノフの双眼鏡に映った日本側の最初の砲煙は、三笠が変針して新針路につき、つづいて敷島、富士、朝日が回頭したとき三笠から騰
ったものであった。 日本の砲弾は、世界のどの海軍の砲弾にも似ていなかった。下瀬火薬を詰め込み伊集院いじゅういん
信管をはめ込んでいるために長細かった。 かつてこの砲弾を相手に戦った旅順艦隊の連中は、この砲弾に、 「鞄チェモダン
」 というあだなをつけていた。以前、旅順艦隊に属していたセミョーノフ中佐は、この鞄の姿や威力についてはよく知っていた。 ところが今あらたまって目撃すると、なんとも奇妙なものであることを認識しなおした。 「ちょうど薪まき
をほうり投げたように」 と、セミョーノフはその印象を説明する。薪がクルクルと空中でまわりながら飛んでくる様子で、その飛んでくる姿が肉眼でも見えるのである。飛翔音もたいしたものではなかった。ロシアの砲弾がごうごうと鉄橋を列車が通り過ぎて行くような音響をたてるのに対し、この独特の長形弾はブーンといういかにも優しい音響をたてるだけで轟音というようなものではなかった。 「これが例の鞄チェモダン
というやつか」 と、レドギンが、あきれたように言った。 最初の鞄かばん
は、スワロフを飛び越えて海中に落ちた。こういう場合、ロシアの砲弾なら水没して長大な水煙をあげるだけだが、日本の砲弾はその鋭敏な伊集院信管によって海面にたたきつけられると同時に海面で大爆発するのである。このため艦体に命中しなくても弾体は無数の破片になって艦上を襲った。その破片が、舷側や甲板上の構造物に当っては、するどく短い音をたてた。第二弾は、近すぎた。第三弾は前部煙突のあたりに命中した。 ついで第四弾が、艦尾左舷の六インチ砲塔に命中し、相次いで大火災がおこった。下瀬火薬の特徴は、艦の装甲をぶち破って艦内で爆発するという式ではなく、触れた部分が鉄であれ木であれことごとく火にしてしまうというところにあった。 前部煙突のあたりに巨大な火柱が立っており、艦尾も燃えはじめていた。 戦艦アリョールの艦上で、日本の戦艦がぶっ放してくる砲弾を見ていたノビコフ・プリボイは、 「飛んでくる水雷のようだ」 と言い、また巡洋艦オレーグの艦上にいたS・ポソコフという士官は、 「これは砲弾という機雷である。炸裂すると不消散質の煙をぱっと撒ま
き、海中に落ちてさえ破片が飛んで我われに被害をあたえた」 と、書いている。 |