「わが全力をあげて、敵の分力を撃つ」 という東郷の戦法は、その思想が奇抜であっただけでなくその思想を実現するために演じた艦隊運動
(敵前回頭) も奇抜であった。 繰り返すようだが、この光景を目撃した旗艦スワロフの幕僚たちの感想は三通りに分かれた。 「東郷、狂せり」 とおどりあがって喜んだ者、 「東郷は例によってアルファ運動をやった」 と、無感動な説明式の感想だけでおわった者などがいるが、いまひとつは、 「この運動が問いかけているなぞは何だろう」 と、戦術的課題として考えた者もいた。主将のロジェストウェンスキーもその一人であった。しかし答えが出なかった。答えが出なければ、考えているより猪突
すべきであった。もしロジェストウェンスキーがすぐれた戦闘者であったなら、戦いの意志の命ずるままに変針運動中の東郷に向かって突進すべきであった。 なにしろこの提督は東郷の三笠より艦齢の若い新鋭戦艦
(第一戦艦戦隊) を率いているのである。もしこの新鋭戦艦たちをひっさげて全速力で東郷の艦隊の後尾に向かって突進すればあるいは東郷のこの魔術的な運動はせっかくの魔術効果を発揮せず開戦早々に陣形を混乱させたかも知れなかった。 が、旗艦スワロフの指令塔内にいるロジェストウェンスキーは東郷に対抗するのにそれにふさわしい戦術を用いようとはしなかった。ただ砲員たちに対して射撃を命じるにとどまった。開戦の幕は午後二時八分、ロシア側の砲火によって切り落とされてことはすでに述べたが、ロシアの各艦の砲員たちは個々に活動し、個々によく働いた。しかし艦隊という大きな場から見ればこの艦隊は砲員という手足のみが存在し、司令長官という脳髄が存在しないということさえ言えそうであった。というよりもロジェストウェンスキーその人が、開戦概念の持ち方において東郷よりはなはだしく劣っていた。彼は海戦といえば相変らず旧来のまま単艦によって互いに叩き合うという思想からわずかしか出ていなかったのである。東郷とその幕僚たちに比べ、基本的に海戦という動態のとらえ方がちがっていた。 ロジェストウェンスキーのこの海戦に臨んでの考え方は、今これを推測すれば、神と各艦の艦長と各艦の砲員の働きにまかせきっていたということは言えた。 さらにいえば、ロジェストウェンスキーのこの場の思考には重大なとらわれがあり、それがつねに純粋で透明であるべき彼の戦術的思考の足をひっぱり、歪曲わいきょく
させ、にごらせていた。 「東郷のすき・・
をみつけてこの戦闘海域から足を抜き、ウラジオストックへ遁入する」 ということである。 純粋に東郷とこの海域で智と勇と誠実さのかぎりを尽くして戦いの航跡を描ききろうという考えは彼にはなかった。もし彼がその覚悟をきめ、この海域を正念場しょうねんば
として死力を尽くして戦えば、互いにその麾下きか
の諸艦を沈めあいつつも残艦がウラジオストックに入れたかも知れなかった。 むろん、彼は、 ── 何隻かはウラジオストックへ辿たど
りつける。 と思ってはいた。しかし彼のとらわれ・・・・
は、その遁入成功の何隻かの中に彼自身が乗っていなければならないと思っていたことであった。そのとらわれ・・・・
が、彼の戦術思考をして尖鋭さを欠かしめ、彼の決断をして鈍重たらしめた。東郷の奇術・・
の前にほとんど無策でいたという彼の事情はそういうところにあったであろう。 |