〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/08/20 (木) 

運 命 の 海 (十九)

ほどなく彼我の距離が五千メートル台になった。
「七千メートル以内でないと射撃の効果があがらない」
というのが東郷の持説であったが、五千メートル台というのはもはや接戦であるといっていい。甲板を動きまわっている兵員の姿まで互いに見えるのである。海面は絶えず落下弾に掻きまわされ、沸騰し、水煙が林立した。とくにロシアの十二インチ砲弾の水煙は艦橋を越えるほどの高さであが り、滝のように甲板に崩れこんだ。海面をたばしる発射音、炸裂音の物凄さはどうやら大気そのものが割れる音であり、天が崩れ落ちるのではないかと思われた。
東郷の艦隊を各艦ごとに見れば、どの艦も敗北の模様であるかのような、生地獄そのままであった。
三番目を走っている戦艦富士の後部主砲の中で働いていた西田捨市翁は、揚弾機を操作する係だった。艦底の弾薬庫から巨大な十二インチ砲弾を揚弾機で引き揚げてきてそれを弾込めするのである。
後部主砲の砲塔は前部のそれと同じく二門の大砲が突き出ている。この砲塔を指揮しているのは寺西益次郎という兵曹長であった。寺西以下九人でこの砲のすべてを操作している。三十分ばかり射ちつづけると、揚弾機が故障して弾が揚がらなくなった。
当時、若い三等兵曹だった西田翁はすぐ故障の修理をすべく艦底の揚弾機室へ降りた。それが、奇運になった。降りたと同時に、
「頭上のほうで、なんとも言いようのない、腹の底をえぐるような轟音が聞こえました」
と、言うのである。あわてて上へあがって行くと、砲塔が半ば消えていた。その辺りは猛火で、足もとは血の海になっていた。手足が飛び、胴がころがっていて、重傷の砲塔長を残すほか、全員が戦死していた。
十二インチ砲弾が命中してしまったのである。砲弾は砲眼孔ほうがんこう をぶち抜いて塔内で爆発し、右砲身を根元から折った。塔内ではたまたま砲員たちが弾丸を装填中てんそうちゅう だったため火が発射装薬に引火し、一瞬で塔内が溶鉱炉になったように火が充満したのである。
六番艦の日進の状況もすさまじかった。
この艦は殿艦だったために、三笠に次ぐほどの砲弾量を浴びた。
開戦三十分後に十二インチ砲弾が飛んで来て、前部主砲の砲塔に命中したのである。
このため右側の砲身は吹っ飛んで海中に落ち、弾片が四方に散ってその一部は艦橋にいた参謀松井健吉中佐の胴から下をうなって即死させ、さらに鉄片群は上甲板、中甲板、下甲板を襲い、十七人を死傷させた。
そのあとさらに九インチ砲弾が、すでに廃墟になっている前部主砲の砲塔に落下して大爆発し、その破片は指令塔の中に呼び込み、司令官三須宗太郎中将や航海長を負傷させた。さらに当時高野といった山本五十六候補生など九十名も血みどろになった。
この砕かれた前部主砲砲塔はまるで磁器を持っているようにしばしば敵の砲弾を引き寄せた。三たび砲弾が襲った。三度目は十二インチ砲弾であった。砲弾は、残っていた左側の砲身を粉々に砕いた。
また六インチ砲弾が、大檣に命中した。
このとき、日進の大檣にのぼっていて弾着の観測をしていたのが、中島文弥という声の大きい三等兵曹だった。彼は落ちないように体をマストに縛りつけ、上桁じょうこう に腰をおろして元気のいい声で弾着を報じていたが、この時の命中弾で右脚を付け根から持ち去られ、そのため体中の血がその大きな傷口を筒口にして艦上へ りそそぐというかっこうになった。中島はマスト上にはりつけになったようなかたちで絶命した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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