〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/08/20 (木) 

運 命 の 海 (十八)

旗艦三笠はぐるりと回って新正面に艦首を向けたとき、三笠にとってバルチック艦隊の艨艟もうどう 三十八隻は右舷の海にひろがったことになる。
彼我の距離はわずか六千四百メートルにすぎず、三笠以下が狂ったように急航するためにそれがみるみるちぢまるように思われた。
艦橋にいる砲術長の安保少佐は左手に秒時計を持っている。右手で眼鏡をのぞいたり、艦橋のどこかをつかんだりした。艦がゆれた。波浪だけではなく、敵弾が当り艦体が動揺するのである。ときどき視界をうばわれた。砲弾の炸裂煙のためであった。
彼がこの運命の戦いで最初の射撃命令を下したのは、午後二時十分である。
右舷の大小の砲がいっせいに火を吐き、多くの砲弾がライン・ダンスのような均整のみごとさで同時に飛び出した。その反動で艦体がたわ むかと思われるほどきし んだ。
目標は、敵の旗艦スワロフであった。
つづく敷島が回頭を終えて直進路にに入ると、三笠同様に右舷射撃を行った。富士も同様であり、朝日、春日そして殿艦の日進もそのようにした。さらに出雲以下の第二戦隊がそれを終了した時には、東郷の全主力は、各艦の片舷の諸砲あわせて百二十七門の主、副砲が、バルチック艦隊の先頭を行く旗艦スワロフとオスラービアをめがけて砲弾を集中させていたことになる。この意味ではこの戦術は数学的合理性のきわめて高いものであるといえた。
「水戦のはじめにあっては、わが全力をあげて敵の先鋒を撃ち、やにわに二、三艘を討ち取るべし」
というのは、秋山真之が日本の水軍の戦術案から きあげた戦法であった。この思想は、外国の海軍にはなかった。
東郷は真之の てた戦術原則のとおりに艦隊を運用した。秋山戦術を水軍の原則にもどすと、
「まず、敵の将船を破る。わが全力をもって敵の分力を撃つ。つねに敵を包むがごとくに運動する」
というものであった。
このためロジェストウェンスキーの旗艦スワロフと、それと並航しているかのごとくに見える戦艦オスラービアは、またたく間に日本の下瀬火薬に包まれた。その二隻をとりまく小さな空間は濃密な暗褐色の爆煙で包まれ、絶え間なく命中弾が炸裂するため爆煙の中で、閃々と火光がきらめき、やがて火炎があがった。
ロシア側も、撃ちに撃った。
「三笠」
が、目標になった。
三笠が最初の射撃を行ってから三分後に、ロシア側の六インチ砲弾が前部煙突をつらぬき、信管がにぶかったせいか貫徹しただけで炸裂せずにむこう側へ飛び去った。
次いでその一分あとに戦艦の主砲の砲弾である十二インチ砲弾がものすごい飛翔音をあげつつ落下してきて三番砲の砲郭の天蓋をぶち破り、砲郭内で大爆発を起こし、同砲の砲員は一人をのぞくほかことごとく重軽傷をうけて全滅した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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