〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/08/19 (水) 

運 命 の 海 (十六)

旗艦スワロフの後部艦橋で三笠の奇妙な運動を見たセミョーノフ中佐は、
「東郷は狂したか」
と、たまたま横にいた右舷副砲の後部砲塔の指揮官レドキン大尉に向かって叫んだ。
レドキンも、
「日本人は何を そうとしているのか」
と、雀踊こおど りした。レドキンに言わせれば、東郷の艦隊は、今回頭運動をしつつある三笠と同様、つぎつぎにその場所・・ で動かざる一点になるのである。ロシア側はその一点に照準をつけて射ちさえすれば射的遊戯のようなたやすさで日本の主力艦隊を一艦ずつ葬り去ることが出来るのである。
スワロフの指令塔の中で東郷のこの変化を見たロジェストウェンスキーは、すぐさま射撃を命じた。あたかも三笠が回頭を終えて新針路につこうとした時であった。ときに、午後二時八分、距離は七千メートルである。スワロフの前部主砲十二インチ口径の巨砲が、日本海を震わして最初の砲弾を三笠へ送った。艦隊はずしっとふるえ、砲煙が背後へ走り、人びとは砲弾の行方を見守った。
その砲弾は、砲戦における初弾の多くが命中しないように、むなしく三笠の上を飛び越えて、その二本煙突の向こう側で水煙をあげた。
そのあとは、ヴァルチック艦隊の主力艦という主力艦が、主砲、副砲をめたらやたらに射ちまくった。
が、三笠は応射しない。他の艦も、ノビコフ・プリボイのいう 「びっくりするほど鮮やかな手際の」 陣形運動を静かに行っているのみで、応射はしなかった。陣形運動のため応射しようにもそれが出来なかったのである。たしかに運命の神が、この東郷運動の完了するまでのあいだ十五分間は一方的にロジェストウェンスキーに微笑ほほえ みつづけたのである。
命中弾も多かった。そのほとんどを、旗艦三笠が吸い込んだ。東郷は最初からそのつもりでいた。
真之は、のちにこのように語っている。
「敵がはじめて火蓋を切ったのは午後二時八分であった (真之は艦橋上でそれをノートに書き込んでいた) 。そのあと、敵の各艦が猛烈に射ってきた。この最初の三、四分のあいだに飛来した敵弾の数は少なくとも三百発以上であったかと思う」
このかん 、三笠の被害はすさまじいものであった。三笠はこの日一日の海戦で、右舷側に四十個、左舷側に八個の弾痕をとどめたが、その大半はこの最初の回頭直後にこうむったものであった。
三笠は一方的に射たれた。さの炸裂音の物凄さは、巨大なハンマーで艦体をたたきのめされているようであり、備砲のうち一発も射たないうちに破壊されたものもあった。砲弾の破片は艦内を飛んで兵員たちを ぎ倒し、甲板はたちまち流血でいろどられた。
以下の事態は応射後起こったことだが、右舷第十六発目の命中弾は兵員かわや 外の鉄板をつらぬいて内壁で大爆発し、その辺りの兵員を将棋倒しにしてしまっただけでなく、無数の破片が四方に散った。
それが指令塔にまでおよんだ。装甲に囲まれているはずの指令塔にまで飛び込み、そこにいた参謀飯田久恒少佐と水雷長菅野勇七少佐および下士官兵二名を傷つけ、次いで別な破片が、副長松村竜雄中佐以下八名を負傷させた。
その間、東郷は双眼鏡をかざしたまま艦橋の彼の位置に立ちつくしていた。水中への落下弾のしぶきでこの艦橋さえびしょ濡れになっており、砲弾の飛翔音ひしょうおん は間断なく頭上に鳴りつづけていた。そのうち、砲弾の大破片が東郷の胸もとわずか十五、六センチの空間をかすめて飛来し、横の羅針儀に突きささった。羅針儀はびっしり釣床をもって巻かれていたが、その釣床ハンモック のひとつに突きささったのである。釣床の緒が切れ、釣床一本が東郷の足もとにころがった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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