要するに東郷は敵前でUターンをあいた。Uというよりもα運動というほうが正確にちかいかもしれない。ロシア側の戦史では、 「このとき東郷は彼がしばしば用いるアルファ運動を行った」 という表現を使っている。 繰り返すと、東郷は午後二時二分南下を開始し、さらに一四五度ぐらい左
(東北東) へまがったのである。後続する各艦は、三笠が左折した同一地点へ来ると、よく訓練されたダンサーたちのような正確さで左へまがって行く。 それに対してロジェストウェンスキーの艦隊は、二本もしくは二本以上の矢の束になって北上している。その矢の束に対し、東郷は横一文字に遮断し、敵の頭をおさえようとしたのである。日本の海軍用語で言うところの、 「T字戦法」 を東郷はとった。 T字戦法の公案は、秋山真之にかかっている。真之がかつて入院中、友人の小笠原長生の家蔵本である水軍書を借りて読み、そのうち能島流水軍書からヒントを得たものだということは以前に触れた。ただこの戦法は実際の用兵においてはきわめて困難で、場合によっては味方の破滅をまねく恐れもあった。 げんに、敵とあまりにも接近しすぎているこの状況下にあっては、真之もこれを用いることに躊躇
した。 三笠以下の各艦がつぎつぎに回頭しているあいだ、味方にとっては射撃が不可能にちかく、敵にとては極端に言えば静止目標を射つほどにたやすい。たとえ全艦が十五ノットの速力で運動していても、全艦隊がこの運動を完了するのは十五分はかかるのである。この十五分間で敵は無数の砲弾を東郷の艦隊へ送りこむことが出来るはずであった。 戦艦アリョールの艦上からこの東郷艦隊の奇妙な運動を見ていたノビコフ・プリボイも、 「ロジェストウェンスキー提督にとって、一度だけ運命が微笑したのである」 と、書いている。 戦艦朝日に乗っていた英国の観戦武官W・ペケナムは東郷の廃滅を予感し、 「よくない、じつによくない」 と、舌を鳴らしたほどであった。 稀代の名参謀といわれた真之でも、もし彼が司令長官であったならばこれをやったかどうかは疑わしい。彼はおそらくこの大冒険を避けて、彼が用意している
「ウラジオまでの七段構え」 という方法で時間をかけて敵の勢力を漸滅させてゆく方法をとったかも知れない。 が、東郷はそれをやった。 彼は風むきが敵の射撃に不利であること、敵は元来遠距離射撃に長じていないこと、波が高いためただでさえ遠距離射撃に長じていない敵にとって高い命中率を得ることは困難であること、などをとっさに判断したに相違なかった。 「海戦に勝つ方法は」 と、のちに東郷は語っている。 「適切な時機をつかんで猛撃を加えることである。その時機を判断する能力は経験によって得られるもので、書物からは学ぶことが出来ない」 用兵者としての東郷はたしかにこの時時機を感じた。そのかん・・
は、彼の豊富な経験から弾はじ
き出された。 |