この直後、三笠の艦橋の風景が変わった。 東郷は依然その場所にいる。 それに寄りそって参謀長加藤友三郎と秋山真之が風の中に立っているが、他の幕僚たちは一段下へ降り、装甲で鎧
われた指令塔の中に入った。 この前後のことを少し詳しく述べると、Z旗が掲げられたあと、後続する各艦が、 「了解アンサー
」 という返答をあらわす応旗を掲げた。参謀清河純一大尉が旗はた
甲板でZ旗の降ろし方の指揮をしていたとき、最上艦橋では秋山真之が、東郷に対し、 「指令塔の中に入ってください」 と頼んだのである。 が、東郷はかぶりを振った。 「ここにいる」 と、言った。副官の永田泰次郎中佐が東郷に寄り添うようにして、かさねて頼んだ。 さらに加藤参謀長も
「ぜひ」 と言って、言葉を添えた。 しかし東郷は動かなかった。艦橋はいわば露台ろだい
で、吹きっさらしである上に、戦闘中は砲弾が飛び交か
い、炸裂さくれつ した砲弾の破片がその辺りの人員を薙な
ぎ倒してしまう公算が高い。そのために指令塔という装置がある。指令塔に入ると視野が制限されるとはいえ、しかしそれを囲んでいるぶの厚い装甲 (十四インチ)
が、戦闘中の指揮官の生命を守ってくれるはずであった。 しかし、東郷は動かず、命令のかたちで、 「自分は齢をとっておるから、老い先から考えてどこでどうなっても知れている。だからここ
(艦橋) にいる。みなは塔の中に入れ」 と、言った。開戦ともなれば、先頭艦であるこの三笠に敵の砲弾は束になって集中するであろう。東郷にとって過去の提督の模範はネルソンしかなかったが、ネルソンは戦闘中に戦死した。東郷もおそらくこの戦役におけるこの最終決戦において自分の生命は終わると覚悟していたに違いない。 参謀長の加藤友三郎は、東郷のその気持がよくわかった。 「では」 と、幕僚たちに向かい、分散しよう、と言った。かつて黄海海戦のときに三笠の幕僚たちが艦橋上でかたまっていたために一弾で数人も負傷するという事態が発生した。分散しておればたれかが生き残るだろうと加藤は思ったのである。 「秋山とおれとが、おそばに残る。飯田と清河は塔内で仕事をしろ」 飯田と清河はそのとおりにした、副官も入った。 艦橋に残ったのは、東郷とその二人の幕僚だけになった。ほかに艦の砲術指揮をしなければならない安保少佐と測距儀を操作している長谷川清少尉と玉木信助という少尉候補生などが残っている。 Z旗があがった時刻は、午後一時五十五分であった。 ロシア側は、まっすぐに北上して来る。 日本側はこれに対し北からさがってきてロシア側に対し反航するかたちをとった。反航とは敵に対しすれちがうかたちをいう。 |