〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/08/12 (水) 

運 命 の 海 (十)

「東郷は八月十日とおなじ陣形でやって来ています」
と、セミョーノフ中佐が叫んだその陣形というのは、彼の言う通りではない。東郷は八月十日 (黄海海戦) とはべつな形で来た。
しかしセミョーノフは叫ばざるを得ない。幕僚の中で彼だけがかつて旅順艦隊に属し、あの激烈だった黄海海戦に参加した生き残りなのである。彼の口ぐせによれば、
下瀬しもせ 火薬のにおいを知っているのはおれだけだ」
ということであった。さらに彼はその文章で兵学校一番とか二番とかいう履歴を持った他の幕僚たちを呪い、 「彼らは机の上での秀才であるかも知れないが、実戦を知らない。まして東郷の癖も知らない。それらのすべてを知っている自分をのけものにして東郷と戦えるはずがないではないか」 という意味のことをいっているように、彼にとって 「八月十日」 ということが自信のよりどころであり、自己顕示の場所でもあった。
明治三十七年八月十日の黄海海戦は東郷にとってつらい戦いであった。旅順艦隊が六隻の大戦艦を持っているのに対し、東郷は初瀬と八島を機雷で失っているため、三笠以下四隻の戦艦しか持っておらず、戦いの運命を決する戦艦主砲の数は、ロシアの二十四門に対し、日本は十七門でしかなかった。
そのうえ東郷にとって致命的なことは、戦艦の補助をすべき装甲巡洋艦四隻 (上村艦隊の出雲、吾妻、常磐、磐手) を欠いていたことである。このため東郷が八月十日につくった主力の陣形は、三笠、朝日、富士、敷島の四戦艦のほかに、春日、日進という二隻の新鋭巡洋艦を加え、これを準戦艦とみなしての単縱陣で、あわせて六隻であった。
── 東郷は、八月十日のようにしてやって来た。
と言ったセミョーノフの言葉は、
「やっぱり、おれの思ったとおりだ」
という、自分の経験にとらわれて、その経験を誇示しようとするためにそのように見えてしまった錯覚であった。いや、錯覚ではなく、たしかに東郷はこの日も、主力の六隻であった。しかし八月十日とちがうのは、準主力というべき上村艦隊を後方に率いてやって来たのである。セミョーノフの目は東郷の後方・・ が見えなかった。というより、三笠以下の六隻を見ただけで、自分の予想を誇るように叫んでしまったのである。
しかし、セミョーノフが英雄詩の主人公に仕立て上げようとしているロジェストウェンスキーは、さすがに彼の宮廷詩人・・・・ よりも冷静な軍人であった。
「ちがうよ。六隻だけじゃない。あのうしろを見たまえ。東郷はぜんぶ連れて来ている」
と、双眼鏡を目からはなし、そのあとセミョーノフを黙殺して、他の幕僚全員を追い立てるように、
「さあ、配置につきたまえ」
そう言って、艦橋を降りた。そのあと彼は艦長や幕僚たちとともに厚い装甲でよろ われた指令塔の中に入った。
ロジェストウェンスキーは、その平素の性格から見て戦闘ともなれば狂いまわるのではないかという危惧きぐ が多少もたれていたが、しかし彼は意外に冷静であった。やや猫背の彼は、指令塔の中から、ふたたび外界をのぞいた。すでに上村艦隊の出雲の艦影がありありと見えた。そのあとに吾妻がつづき、さらに常磐、八雲、浅間、磐手という大巡洋艦がその艦影をおもおもしく近づけつつあった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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