〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/08/05 (水) 

運 命 の 海 (二)

「沖ノ島の西方」
というのが、東郷の司令部が算出した会敵地点であった。
ところが東郷の南下軍は早く予定戦場付近に来過ぎた。正午ごろ、東郷の長大な単従陣の先頭を進む三笠は、沖ノ島北方約十五海里の地点に達してしまったのである。
「もう来るはずだが」
と、艦橋上で参謀の飯田久恒少佐が同じく参謀の清河純一大尉へささやきかけた。飯田も清河も、当時一本メガネと通称されていた備え付けの望遠鏡で右舷の水平線を見つづけていた。このメガネは倍率が低かったが、このころ世界のどの海軍でも一般にこのメガネが用いられていた。
東郷だけが、私物ながらドイツのツァイスg開発した 「ツノガタメガネ」 (プリズム双眼鏡) と通称される倍率の高い双眼鏡を首からぶらさげていた。
東郷はその双眼鏡を用いることなく黙然もくねん と右舷の方を見つめている。眼鏡を用いるまでもなく、濛気のカーテンが垂れ込めていて、視界は相変らず五海里程度だった。この程度なら眼鏡を必要とせず、肉眼で十分であった。
それでもつい人情が、望遠鏡をかざさせた。どういう場合でも冷厳な態度をくずしたことがないといわれる参謀長加藤友三郎少将さえ、つい望遠鏡を目にあてた。
「むりですね」
と、副官の永田泰次郎中佐がつぶやいた。
── あれは何というか、ヘンな人だったよ。
と、奇行で以って後々まで海軍に伝説を残してそう言われた秋山真之だけが、両眼を三角にして右舷の沖を見つめているのみである。彼は望遠鏡を用いなかった。望遠鏡を持ってさえいなかった。彼はそれが持説で、
── 見つめてさえいれば肉眼で十分だ。
と平素から言っており、この場合でさえ裸眼でそのあたりをぎょろぎょろながめていたのである。
艦橋は、ずいぶん高所にある。眼下に前部主砲の砲塔があり、二本の主砲がつき出ている。艦橋のゆか は木製で、スペースは狭く、艦橋のまわりは簡単な柵で囲まれ、ハンモックで防禦されていた。それだけであった。まわりは吹きっさらしで、高所恐怖症の者なら気が遠くなるような高さの露天台である。
この正午すぎ、バルチック艦隊の出迎え・・・ をしている片岡七朗の第三艦隊からの入電があった。
「敵ハ壱岐国いきのくに
と、無電はふるい呼称をつかっている。
「壱岐国若宮島にやくじま ノ北方十二海里ニアリテ、北東微東ニ航シツツアリ。速力ハ十二ノット」
この第三艦隊の誘導は、じつに有効であった。
このおかげで、三笠の航海参謀は、適宜針路を変じてゆくだけで敵に遭遇し得るのである。この場合、針路を右に折って、西に向かった。
波浪が大きくなった。
山のような、という慣用表現がそのままあてはまる大波で、そのあたかも山脈をなすような波が艦首へ激突し、はじけ砕けて前部甲板を洗うだけでなく、烈風が巻き上げる飛沫ひまつ は、はるか高所にある艦橋まで吹きあがってきた。
艦橋にある東郷は、一文字いちもんじ 吉房よしふさ の長剣のコジリを床にコトリと落とし、両足をわずかに開いたまま動かなかった。足もとの床は飛沫でびしょ濡れであった。ちなみに東郷は戦闘が終わってからようやく艦橋をおりたのだが、東郷の去ったあと、その靴のあとだけが乾いていたという目撃談がある。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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