鈴木にとっては敵の針路を一分
の狂いもなく確認したいという、ただそれだけの目的もしくは入念な性癖から出た前面突っ切りの行動であったが、ロジェストウェンスキーとその幕僚にとってはまさかそういう性癖を日本海軍が具備していてこの生死の切所せっしょ
に至ってもなおその性癖を出したとは思っていない。 「あの四隻の駆逐艦が機雷をまいた」 というので、にわかに陣形を変更した。その撒ま
いたであろうと思われる水域を避けて通ろうとした。 ロシア側の資料にもそれがある。 「日本人は八月十日 (黄海海戦)
でもそれをやった。機雷を撒いた疑いが濃厚である」 と、書かれている。 それまでの日本のこの送り狼たち (老いぼれではあったが)
に寛大だったロジェストウェンスキーは、 「沈めてしまおう」 として、旗艦スワロフなど最優良の四隻の戦艦砲火を用いるべく、あわせて “機雷現場”
を避けるべく、まず第一戦艦戦隊を右舷正面に展開することを決めた。 この目的のためにバルチック艦隊には苦手の艦隊運動が始まった。まず第一戦艦戦隊の各艦に対し右八点へ正面変換をすべく命ぜられた。右八点とは右舷九十度ということである。各艦は逐次その運動を行った。どの艦も右舷から大波が上甲板へ押し寄せた。みるからに勇壮な光景であった。 しかし右折しっぱなしではどうにもならないから、針路をもとへもどすべく左八点の一斉回頭をしなければならない。 ところがこの最後の回頭において、混乱がおこった。 つまりアレクサンドル三世が、旗艦スワロフに揚がった信号を誤認した
(練度の高いはずの大海軍国にあり得ない現象だが) のである。アレクサンドル三世はそのまま旗艦スワロフの尻にくっついて走り出した。 他の後続戦艦の艦長たちはおどろき、 「アレクサンドル三世がスワロフにくっついているじゃないか」 と、むしろ自分たちが信号を誤認したと思ってしまった。彼らはせっかく左八点の運動を正しくやりつつあったのをあわてて中止し、まちがっているアレクサンドル三世の艦尾にくっつく針路に訂正したのである。 「馬鹿艦長どもが」 と、ロジェストウェンスキーは艦橋にあってどなった。西方から吹いて来る強い風が、その声を吹き飛ばした。 この陣形の混乱はどうにもならなかった。とくに航行中の艦隊の、それも首脳部というべき第一戦艦戦隊が、それに続く第二戦艦戦隊および第三戦艦戦隊に対してわずか前方に位置しつつ、しかしあたかも並航しているかのような、なんともいえない陣形になってしまった。これでは戦争が出来るカタチではなかった。 やがてロジェストウェンスキーはこの混乱を収拾して戦闘のための陣形にもどすべく信号を掲げるのだが、この陣形の乱れがほどなく突入する主力決戦の場面においていちじるしい禍害をなすにいたった。 「艦隊というのは軍艦の集合状態ではない。艦隊は艦隊訓練を練り上げることによってのみ成立する」 という世界の海軍の一般原則は、このロジェストウェンスキーの艦隊に対して冷笑を向けたことは疑いを入れない。 |