「みろ、また引っ返してきやがった」 と、旗艦スワロフの艦橋で、幕僚のたれかが悲鳴をあげるようにして左舷前方を指さした。たしかに厳島を先頭にその巡洋艦群が、またしても出現した。濃霧をとおして影のようにかすむ艦影を一点二点と現わしはじめたのである。 しかもおどろくべきことに、その一部はバルチック艦隊の前方をさえぎるべく速力をあげはじめた。まさか戦闘するつもりではないだろうとバルチック艦隊の幕僚のたれもが思った。まともに砲火を開けばあの老いぼれた日本の小巡洋艦たちは卵のカラのように叩き潰されてしまう。 たしかに
「敵艦隊の前を突っ切る」 というこの命令は、第三艦隊司令長官片岡七朗が麾下
の第六戦隊 (和泉欠) に発したものである。彼は敵の前方へ出て正確に監視できるように配慮した。というより具体的には、これより前、バルチック艦隊が日本側に所定針路をさとらせまいとして時々変えたりしたため、片岡にすれば和泉が先に報告したとおり
(針路、北東) なのかどうかそれを敵の前方からのぞきこんで確かめたかったのである。この正確を期することと正確への入念な態度は、東郷が持っている性向であり、同時に日本の海軍が個性として持っている癖でもあった。しかしそのことを実行するには全滅を賭する勇気が必要であった。もっとも第三艦隊は全滅してもよかった。彼らが東郷司令部から要求されている使命は捜索と報告と敵の誘導であり、やがて幕が開かれるであろう三笠以下の主力決戦の場面ではさほどの役には立たないからである。もし右の使命さえ全う出来れば第三艦隊は全部沈んでも日本側にとってごく小さな損失でしかない。 一方、早朝から敵艦隊のもう一方の側
(敵の右舷) にくついて離れずにいる和泉は、敵の進路についてどんどん無電を打ち続けている。 が、敵の針路というのは、敵の横っ腹から遠望していると、wずかな差異とというものが分かりにくい場合が多い。片岡が疑って第六戦隊を前方へ出そうとしたのはそれであった。 片岡の第三艦隊の指揮下でなく第二艦隊に属する第四駆逐隊
(司令・鈴木貫太郎中佐) もこの現場にいたことはすでに触れた。 鈴木は四隻の駆逐艦を率いて、 (いっそ敵の前面を通過してやれ) と、片岡と同じことを考えたのである。 鈴木の駆逐艦朝霧は二十九ノットという快速力をもっていた。敵は十二ノットである。 鈴木はしだいに敵を追い抜いて行って、るいに正面を横切った。 「前から見ればよく判るからこれほど正しい測定はないのです」 と鈴木は後年語っている。前へ出てみると、おどろくべきことに和泉の測定は間違っていなかった。 ところがこの朝霧らの行動は、ロジェストウェンスキーを驚愕きょうがく
させたのである。 「彼らはわれわれの進行方向に機雷を撒ま
いた」 と誤認したのである。 |