一方、バルチック艦隊の旗艦スワロフの艦橋では、朝からロジェストウェンスキーが位置を離れることなく艦隊の指揮をとっている。 この五月二十七日という日は、ニコライ二世の戴冠記念日であった。 「提督は海戦の日をこの日に持って行くべく艦隊の速力を調整していた」 というのは、上は幕僚から下は水兵にいたるまでの一致した推測であった。 本来ならこの日は、艦内の士官集会室で盛大な祝賀が張られるはずだった。げんにその準備が行われつつあったが、しかしロジェストウェンスキーは、 「一同でよろしくやっておくように。私は艦橋を離れることが出来ない」 と言っていた。むろん艦長のイグナチウス大佐も艦橋を離れるわけにはゆかない。 早暁和泉が出現した時も、ロジェストウェンスキーは黙殺した。 四隻の駆逐艦が現れた時も彼は黙殺し、さらに三隊の巡洋艦戦隊が左舷に現れた時も彼は別段の指示を与えなかった。 「鎮遠がいるな」 と、彼は望遠鏡をかざしながらつぶやいた。幕僚がこもごも艦名を言った。 「松島、厳島、橋立がいます」 「捨てておけ」 と、ロジェストウェンスキーは言った。すでに迫りつつある主力決戦のために彼は全力をあげようとしていた。それまでの敵の走卒のような艦艇が現れてもこれを黙殺したほうがよい。それにとらわれて砲弾その他の戦闘エネルギーを浪費することは無用の沙汰だと思っていた。このことについてロジェストウェンスキーの態度は終始一貫していたという点で正しかった。 ところが午前十一時二十分ごろ、日本の出羽重遠の第三戦隊の巡洋艦群がいちじるしく接近して来たのである。とくにアリョールに近かった。 戦場に近づくにつれて全艦隊の士気があがり、あの惰気にみちた航海中のこの艦隊とはまるで別の軍隊のようになった。とくに戦艦アリョールは士気が高く、砲員たちは動作のすみずみまで闘志をみなぎらせ、どの男も生まれながらに神がそのように作り上げた理想の戦士のようであった。 ことに左舷中部の六インチ砲の砲員は、眼前の巡洋艦が白波を蹴って走っているのを見て、堪え切れなくなった。 「どうして射撃命令が出ないんだ」 と、口々に言いさわいだ。
照準手は、頭が割れるほどに緊張していた。彼は今にも号令が下るものと信じていた、このためまわりの怒声が、彼の耳を錯覚させた。 「撃ち方始め。──」 と、聞こえたのである。 轟然
たる砲声がとどろき、砲甲板は煙に包まれた。みなきびきびと動作した。 が、士官が命令を下したわけではない。ただ照準手の錯覚が架空の射撃命令を既成事実にした。この戦艦アリョールの第一弾は無煙火薬が使われていたために、まわりの各艦はどの艦が発射したものかと迷い、おそらく旗艦スワロフが戦闘を開始したのであろうと、おのおのが砲火を開いた。とくに第三戦艦戦隊の射撃は活発すぎた。 たちまち日本の巡洋艦のまわりに水煙があがった。日本の巡洋艦も応射し、応射しつつ遠ざかった。やがて旗艦スワロフにロジェストウェンスキーの叱責の信号が上がった。 「砲弾ノ無駄使イヲヤメヨ」 |