どの乗組員も、木製の名札を肩から袈裟
にかけていた。その名札には表に戦闘配置が書かれてあり、裏には本籍と氏名が書かれていた。戦死して五体が大きく砕けてもこれによって誰であるかを認識するためであった。 「戦闘中は戦闘配置を動くな。大小便もその場でせよ」 という命令の出た艦もあった。 大艦の揺れはさほどでもなかったが、小さい巡洋艦や駆逐艦などは赤腹が見えるほどに揺れていた。 やがて黒潮に入った。 この南から北へ流れて来る巨大な暖流は九州西方でわかれて日本海コースをとる支流を対馬暖流と呼ばれているのだが、九州の漁民が黒瀬川と呼んでいるとおりに色が黒く、ある境目からタタミの色が変わるほどのあざやかさで変わった。艦隊は黒潮を突っ切りはじめた。 艦橋にいる参謀長加藤友三郎の顔色は、ただごとでないほど青くなっていた。 胃痛がはじまったのである。 彼は元来胃が丈夫ではなかったが、ここ数週間の神経疲労のために間歇的かんけつてき
に胃が痛むようになっていたことについてはすでに触れた。ところがこのときの痛みは腹をえぐられるようで立っていられず、なんとか意志力でおさえようとしたが思考の持続がおぼつかなくなった。 (この場になって、なんということだ) と、加藤は目に前が暗くなる思いがした。彼はどういう場面に立っても狼狽ろうばい
したことがなく、自他に対してつねに氷のような理性でうごくと言われた人物であったが、同時に行動的でもあった。彼はすぐに艦橋を降りて鈴木軍医総監のもとに行き、 「例の痛みです」 と、微笑ひとつ見せたことのない顔を鈴木に近づけ、
「だいぶひどい」 と言った。 「あと五時間でいい。五時間生きられれば結構だから、劇薬でもなんでも呉れませんか」 「五時間でいいんですか」 と、鈴木はわざと笑い声を立てた。鈴木には加藤に胃痛が多分に神経性のものだということがわかっていた。 鈴木は、処置をした。 加藤は痛みをいたわるようにゆっくりすた足どりで去って行った。鈴木軍医総監はそのあと、艦橋へ行った。 彼の仕事は主として外科であり、この当時の軍陣医学には神経科の要素は薄かったが、しかし艦橋で望診しながら各要人の健康状況を見ておこうと思ったのである。 秋山真之は海図をのぞきこみ、右手をときどき上衣のポケットに突っこんだ。ポケットの中の空豆そらまめ
の煎い ったものを取り出して来ては口にほうりこみ、激しく歯音をたてた。 (この男も、ひどいものだ) と、鈴木は思った。真之がこのところずっと靴をぬいで寝たことがないということを鈴木は知っていた。その相貌にあぶら・・・
が浮き、あきらかに睡眠が不足していることを証拠立てていたが、しかし物事に対して異常な集中力を発揮できる男だけに、少なくともここ五時間ほどの健康は大丈夫のように思われた。 東郷はふだんのままの顔でいた。ちょっと鈴木の顔を見たが別に何も言わず、ゆったりと呼吸していた。長剣のコジリがわずかに床に触れ、剣を装飾している黄金の金具がどういうわけか青銹あおさ
びて見えた。 |