〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/07/31 (金) 

沖 ノ 島 (三)

旗艦 「三笠」 以下が鎮海湾を出ると、風浪がはげしくなった。
「天気晴朗」
とはいったが、実際には濃霧に近いほどに濛気が立ち込めて視界は十分でなかった。
「いずれ、この霧は晴れるでしょう」
と、秋山真之は、参謀長の加藤友三郎少将に言った。加藤は不快気にだまっていた。
実際、開戦の時間になったころは、晴朗とまではゆかなくとも霧は薄くなったのだが、加藤にすれば真之が 「晴朗」 と大本営へ打電したことが多少不愉快であった。すこしも晴朗ではなかった。
しかし真之は一個の祈祷師きとうし のような心情になって、
(霧はきっと薄らぐ。天運はわが艦隊に微笑ほほえ むはずだ)
と、心中懸命に祈っていた。彼は後年、この日連合艦隊に幸いした天佑の連続のために神霊を信ずる人になり、山本権兵衛をして、
── 秋山は天佑々々と言い過ぎる。後世、神秘的な力で勝ったように錯覚する者が出てきては日本の運命があやぶまれる。
と、眉をしかめさせたほどの人物になってしまったが、実のところ彼はこの海戦の設計段階において智嚢ちのう のかぎりをしぼってしまった。あとは天佑を待つのみであり、それを思うと気が狂いそうになるまで ── というより狂ったほうが自然 ── というまでに心気を困憊こんぱい させきっていたのである。彼はこの時期、神仏の名前をいくつも知らなかった。子供のころに母親から聞いた神名、仏名を胸中でとなえ、さらに日本中の神々が、やがて艦隊が敵と遭遇するであろう沖ノ島の上天にふりくだ ってくることを祈った。
「日露戦争において」
と、いった人がある。
「作戦上の心労のあまり寿命を縮めてしまったのが陸戦の児玉源太郎であり、気を狂わせてしまったのが海戦の秋山真之である」
というのだが、真之は発狂したわけではなかった。しかし脳漿のうしょう をしぼりきったあと、戦後の真之はそれ以前の真之とは別人の観があったことだけはたしかである。戦後、真之のいうことにしばしば飛躍があり、日常神霊を信じる人になった。
濃霧ではいけない、ということを真之はむろん分かっていた。霧にまぎれてバルチック艦隊が逃げてしまう可能性が大きくなるからである。
しかし晴朗でもいけなかった。
晴朗ならばロジェストウェンスキーは遠距離において東郷の艦隊を発見するであろう。とすれば針路を変えて逃げることも不可能ではなかった。
現実に両軍が衝突した時は、濛気がなお残っていた。このためバルチック艦隊が東郷の艦隊を発見したときは、すでに抜き差しならぬ近距離になってしまったいたのである。ロジェストウェンスキーにすれば全力をあげて戦闘をする以外になかった。晴朗というよりもむしろ薄霧であったことが東郷の艦隊に幸いした。
「東郷は若いころから運のつよい男ですから」
というのは、山本権兵衛が明治帝に対し、東郷を艦隊の総帥に選んだ理由として述べた言葉だが、名将ということの絶対の理由は、才能や統率力以上に彼が敵よりも幸運にめぐまれているということであった。悲運の名将というのは論理的にあり得ない表現であり、名将はかならず幸運であらねばならなかった。
ただ真之の滑稽であったことは、彼の横にいる無口で小柄な老人が稀有けうつき・・ がついているとは思ってもいなかったことである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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