旗艦三笠は第一戦隊の先頭に立つべく速力をあげていた。 第二艦隊の上村彦之丞は旗艦出雲に座乗して加コ水道に仮泊していたが、東郷の出港命令の入電とともにそのあたりに所在する全艦艇に出港を命じた。 各艦がいっせいに動き始めた。 その間を戦艦戦隊である第一艦隊第一戦隊の敷島、富士、朝日、春日、日進が進み、やがて東郷の三笠が追いついて先頭に立った。三笠のななめうしろをちっぽけな通報艦竜田が従った。巨大な戦艦群がおこす波のため竜田ははげしく揺れた。 この第一艦隊に属する駆逐艦および、水雷艇は、 春雨、吹雪、有明、霰
、暁、朧おぼろ 、電いなずま
、雷いかずち 、曙あけぼの
、東雲しののべ 、薄雲、霞、漣さざなみ
、千鳥、隼はやぶさ 、真鶴、鵲かささぎ
である。 第二艦隊第二戦隊は五隻の一等巡洋艦が波を割って滑り出している。出雲、吾妻、常磐、八雲、磐手で、八代六郎大佐を艦長とする浅間がこの編制に加わっているが、他に任務があったため出港の時は姿がなく、午前十時すぎに全速力で駈けて来てこれらの僚艦に加わった。通報艦は千早である。千早は出雲と並航して走っていた。 つづいて第二艦隊に所属する二等巡洋艦浪速
(三六五〇トン) を旗艦とする四隻の第四戦隊が、白波を蹴立てていた。浪速、高千穂、明石、対馬である。 この第二艦隊に所属する駆逐艦および水雷艇は以下のようである。 朝霧、村雨、朝潮、白雲、不知火しらぬい
、叢雲むらくも 、夕霧、陽炎かげろう
、蒼鷹あおたか 、雁かり
、燕つばめ 、鴿はと
、鴎かもめ 、鴻おおとり
、雉きじ このうち朝霧以下四隻は対馬の尾崎湾で待機中で、この湾にいない。 中将片岡七朗を司令長官とする第三艦隊はくりかえし述べているように対馬で待機していたが、この日いち早くバルチック艦隊に接触してそれを東郷の率いる主力勢力のもとに誘導すべく運動を開始していた。第三艦隊の旗艦は二等巡洋艦厳島
(四二一〇トン) で、日清戦争の時の戦利軍艦である鎮遠がこれにつづき、松島、橋立という一時代前の旧式主力艦をもって第五戦隊が編まれている。通報艦は八重山であった。 同じく第三艦隊の第六戦隊は、須磨、千代田、秋津洲あきつしま
、和泉で、和泉の働きでも分かるようにこの戦隊はここ一週間ほど哨戒索敵のため多忙であった。 つづいて第三艦隊の第七戦隊というのは、老朽艦で編制されている。扶桑、高雄、筑紫つくし
それに鳥海ちょうかい 、摩耶まや
、宇治で、鳥海以下は六百トン程度しかなかった。 この第三艦隊に所属する水雷艇は以下のとおりである。 雲雀ひばり
、鷺さぎ 、鷂はいたか
、鶉うずら それに第四十三号艇など番号の付いた水雷艇が十六隻、さらに竹敷要港部や呉鎮守府に属する旧式水雷艇十四隻も参加。
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