〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/07/28 (火) 

抜 錨 (十)

一等巡洋艦でありながら春日とともに戦艦の戦隊に編入されていた日進は、甲板だけで百六十トンの石炭を積んだいた。これをことごとく捨てねばならず、それも迅速を要した。総員が炭塵で真っ黒になって駈けまわり、わずか一時間で全部捨てきってしまった。
そのあと炭塵で汚れた甲板をきれいに洗い、戦闘準備が出来たのが、午前八時半である。
むろん、艦は走っている。
そのころ、バルチック艦隊に接触中の和泉から敵情についての詳細な電報が入りはじめた。敵の艦数、陣形、位置がことごとく分かった。このことは重大であった。バルチック艦隊はロジェストウェンスキーでさえ、東郷艦隊の様子はわからなかったが、日本側は、和泉のおかげで各艦がみな敵の様子についてはあらかじめ分かっていたのである。
「会敵は正午すぎになるだろう」
と、日進ではどの士官も知ることが出来た。この艦の副長は秀島成忠という人物だった。
秀島はまだ時間の余裕があると見、艦内に、日本海軍が建設されて以来かつてなかった号令を発した。
「酒のほか、酒保しゅほ ゆるす。銭は らん。勝手に食え」
というものであった。艦の売店はぜんぶ無料だ、ただし酒だけはいけない、というのである。どうせ艦が沈めば酒保ごと沈むのでる。たとえば、沈まなくても生きてふたたび故郷へ帰れる者は何人あるかわからない。酒保が無料というのはその意味ではおもしろい処置であり、さらにいえばそれだけの処置で海戦の前の神経疲労がくつろぐかもしれない。げんに兵員のあいだに歓声があがり、酒保へ殺到し、そのあとあちこちでアンパンや源氏豆を食うグループができた。この時代、日本の農村は質朴で、陸海軍に入ってはじめて靴をはいたという者が多く、菓子など海軍に入ってはじめて食ったという者もあった。
秀島副長は 「食い放題」 ということを宣言したものの、多少不安になってあとで調べてみると、一人に菓子一袋ずつのわりあいにすぎなかったことを知り、むしろ痛々しく思ったりした。
この日進は第一戦隊 (戦艦の戦隊)殿艦でんかん をつとめている。逆順になると先頭艦になる。そのため中将の三須宗太郎が司令官として座乗していた。
午前九時十五分、この三須が士官一同を士官室に集め、激励の訓示をおこなったあと、シャンペンを抜いて戦勝を祈った。
総員に対しては、艦長竹内平太郎大佐が、司令官訓示を伝達し、そのあと、
「如何に狂風」
という海軍軍歌を副長が音頭をとり、艦内こぞって斉唱せいしょう した。
「ロシアのふね は黒。煙突は黄」
という和泉が教えたことはこのころ全員の知識になっていた。日本の軍艦は濃灰色で、海の上で一番見えにくい色彩で統一されていた。煤煙は日本の場合のような無煙炭とは違い、濃く濛々もうもう と天を染めている。その黒々とした一大海上勢力がいま海を圧して日本に迫っていた。そのおそるべき情景が、たれの脳裡にも描かれていたが、 「我等の眼中難事なし」 と歌い終えたとき、気持が一時にしずまるような思いがしたという。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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