電文のこと、つづく。 「撃滅」
という用語がつかわれた動機の一面については述べた。 いま一面は戦略的にそれをしなければ日本海海戦の意味は失われるのである。こちらがたとえ半分沈んでも敵を一隻残らず沈めなければ戦略的に意味をなさないという困難な絶対面を東郷とその艦隊は背負わされていた。 「バルチック艦隊は、戦艦、巡洋艦のうち、たとえ何隻でもいいからウラジオストックに逃げ込み、日本の海上権を撹乱する可能性を残せば、それで十分ロジェストウェンスキーの勝利である」 という専門家の論評さえ外国の新聞に載ったほどであった。ロジェストウェンスキーはウラジオストックへ逃げ込むのが戦略目的であった。自己の戦略目的を達成することは、たとえ薄い勝利にすぎなくあっても、成功であることにまちがいなかった。 その
「成功」 によってロシアは今後日本の海上交通をおびやかし、満州の日本陸軍をひぼし
にするという重大な戦略的優位に立ち得るのである。これを逆にいえば東郷の場合、ロジェストウェンスキーがもっている軍艦という軍艦を全部たたき沈めてしまわなければ、勝利にならなかった。戦略上、東郷は
「之ヲ撃滅」 すべく要求されていたのである。 次いで真之がつけ加えたところの、 「天気晴朗ナレドモ浪高シ」 について、のち海相山本権兵衛が、 「秋山の美文はよろしからず、公報の文章の眼目は、実情をありのままに叙述するにある。美文は動やや
もすれば事実を粉飾ふんしょく
して真相を逸し、後世をまどわすことがある」 と、評した。原則としては山本のいうとおりであった。 しかしながらこの場合、真之のほうに分ぶ
があった。 真之は美文をつけ加えるつもりはなかった。 かつてウラジオ艦隊の巡洋艦三隻が日本近海に跳梁ちょうりょう
して陸軍輸送船を何隻も沈めていたとき、それを追っかけるべく義務づけられていた上村艦隊が、かんじんなときになると濃霧に遭い、そのためしばしば敵を取り逃がした。 「天気晴朗」 というのはその心配がない、ということであり、視界が遠くまでとどくため取り逃がしは少ない、ということを濃厚に暗示している。 さらに砲術能力については日本の方がはるかにすぐれていることを大本営も知っていた。視界が明朗であれば命中率が高くなり、撃滅・・
の可能性が大いに騰あが がるということを示唆している。 「浪高シ」 という物理的状況は、ロシア軍の軍艦において大いに不利であった。敵味方の艦が波で動揺するとき、波は射撃訓練の充分な日本側の方に利し、ロシア側に不利をもたらす。 「きわめてわが方に有利である」 ということを、真之はこの一句で象徴したのである。このことは電文を受取った東京の軍司令部は理解した。軍政家の山本は、おそらく世界海軍史上最大の海軍のつくり手であったが、戦闘や作戦の経験がほとんどなかったため、真之の文章を単に美文と思ったのかもしれない。 |