〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/07/24 (金) 

抜 錨 (三)

参謀長の加藤友三郎少将は、どのような場合にも冷静さを失ったことがないという人物だった。
彼は芸州藩士の子で、兄の種之助は上野の彰義隊討伐のときは、藩兵の小隊長をつとめた。
加藤は明治六年十月二十七日に東京築地の海軍兵学寮に入学した。満十二歳であった。
ついでながら十月二十五日に勝海舟が海軍卿になっている。当時兵学寮には予科と本科があり、卒業して海軍少尉補になったのは満十九歳である。在学中の成績はさほどよくなく、目立たない存在であったが、卒業の時は二番になった。
大酒が飲めるというほか、無口で表情にとぼしく、面白味のある男ではなかったが、物事の分析能力においてすぐれているうえに、あわせて物事を総合的にとらえる能力を持ち、一個の結論を引き出す上においては非常な度胸があった。
健康のほうは虚弱といっていいほどだったが、気力がつよく、無理がきいた。
彼が冷静で寡黙であるということから冷血の人ではないかという印象があったが、しかし内実はそうではないという異常な光景を、彼の身辺の人びとで目撃している人がいた。
たとえば日露戦争の初期の段階において彼は第二艦隊である上村艦隊の参謀長をつとめ、旗艦出雲において艦長の伊地知いじち 李珍すえよし 大佐とおなじ艦内で起居していた。このとき有名な旅順口閉塞隊員の募集があった。
ある機関兵が応募したが、選に洩れた。この機関兵が艦長室にやって来てさらに嘆願した。伊地知艦長はこれに対し、選に洩れたい上はどうしようもないと慰諭いゆ してついにあきらめさせた。その間、加藤は同室にいてその対話を無表情に聞いていたが、機関兵が去ったあと、顔をおおい、声を放って号泣した。
「その き方のすさまじさは、尋常でなかった」
と、加藤と同期生で加藤のことはよく知っているこの伊地知が、ひとつ話のようにして加藤の死後に語っている。
この朝、加藤は蒼白の顔をして椅子にすわっていた。ここ一週間ほどの心労が神経性の胃痛のかたちになって彼をさいなんでいたのである。彼は激痛に堪えるために、両手でテーブルの端をつかみ、足に力をこめてふんばったような姿勢をとっていた。
そこへ無線助手の加瀬順一郎が飛び込んで来たのである。
加藤は、細い指で封を開いた。中身を一見すると、
「よし」
と、加藤にうなずいた。加藤は去った。加藤はどう見ても日常の表情であった。
加藤は長官公室に入った。
東郷はすでに長官私室から出て来ていて、その公的な執務室である公室の椅子にすわっていた。
加藤は翻訳文を示した。
東郷はそれを見、すぐ顔をあげた。それでもなおこの無口な老軍人は何も言わなかった。ただ東郷の表情はえもいえぬ微笑でかがやいており、加藤は東郷がこれほどに喜色をうかべたのをはじめて見た。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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