バルチック艦隊の匿名幕僚の手記によれば、この日午前六時に和泉が発見されている。 八五二四トンの装甲巡洋艦ナヒーモフがこれを見つけ、 「右正横
(時計の三時の方向) にあたり、敵艦みとむ」 と、あわただしく信号を送った。ひきつづき他の艦からも和泉の発見を報じた。 が、ロジェストウェンスキー中将は、これを追っ払え、とも撃沈せよとも言わなかった。ただ午前八時ごろになって旗艦スワロフに信号旗を掲げさせ、和泉に対する処置を次のように命じた。 「右舷副砲および後部砲塔を指向、照準を持続せよ」 ということであった。和泉の石田一郎大佐の望遠鏡に映じたという
── 敵艦の砲が動きはじめて自艦にぴたりと照準がつけられた ── のは、この時であるらしい。 ロジェストウェンスキーはそれ以外の処置は講じなかった。たかが哨戒用の小艦に相手になることによって陣形が乱れたり、艦隊の速度が遅くなったりすることをおそれたのかもしれない。 ロジェストウェンスキーは、和泉が現れる以前に自分たちが見つけられたということに気づいていた。味方の無電がとらえている日本側の暗合通信が、午前五時ごろまでは短調なくりかえし
(日本側の哨戒の点呼であろう) であったのが、五時ごろをさかいにして大いにかわり、複雑な内容らしいものを打ちはじめていることでも分かるのである。同提督による午前五時という時間は、おそらく信濃丸が第一報を発した午前四時四十五分のことに相違ない。それ以後たしかに日本側の通信状況は急変した。ロシア側から見れば、発見されたと見てよかった。 ロジェストウェンスキーは操舵室にいた。旗艦スワロフの艦長イグナチウス大佐をかえりみて、 「どうやらわれわれは、発見されたようだ」 と、この日本側の無電の変化の段階においてそのように言い、海図をのぞきこんだ。 速力と距離の計算の結果、玄界灘に浮かんでいる、山頂を切り取ったような三角形の小さな岩礁
(沖ノ島) を指さし、 「どうやら会戦はこの島の西方で行われることになるだろう。時間は午後二時」 と、見た。 話が飛ぶが、鎮海湾にいる東郷が、信濃丸の発した無電
(対馬の尾崎湾にいる第三艦隊司令部から転電されたもの) を受取ったのは、午前五時五分であったが、このとき即座に真之が計算し、会戦の予想地点は沖ノ島西方とみた。海軍としてはごく当然の計算であったが、気味悪いほどに両者の計算の結果が符合している。 ロジェストウェンスキーは、すでに会戦という避け難いものの運命圏内に突入してしまっている以上、和泉の存在など黙殺しようと思ったのであろう。 このときにあたって、彼のとった処置で不可解な謎とされているのは、和泉に無電をゆるしつづけたことである。 この艦隊の仮装巡洋艦ウラルには、七百マイルもとどくというマルコニー会社製の世界一の無線電信機が一機備え付けられていた。この強力な電波をもってすれば、和泉の無電を妨害しつづけることなどわけはなかった。事実、ウラルはたまりかねて、提督に対し、それをしていいかという許可をもとめた。が、提督は海上信号器をもって、 「日本の無電を妨害するなかれ」 と、禁じた。この艦隊の幕僚さえ、この処置の意味を解きかね奇怪至極であるとあとあとまで批評したが、日本側の戦艦敷島の艦長だった寺垣猪三大佐が、戦後
「これなども天佑てんゆう の一つだったと思います」
と語っている。日本側でも不可解だったのである。 |