信濃丸の凝視
は長かった。 その燈火の正体を知るべく、艦長成川大佐は接近を命じた。近づくにつれてその燈火が、後檣に連掲されていることがわかった。色は 「白」 「紅」
「白」 である。 「敵ですよ」 と、たれかが、低く鋭い声で言ったが、成川は沈黙でそれを押しかえした。彼は入念で慎重であった。その闇の中の燈火の正体をこうもわかいにくくしている理由のひとつは、さきに隠れていた月が明るくなったためであった。月は東天にあった。信濃丸は月光を背にしている。このため目標が見えにくく、艦か船かさだかでなかったのである。 成川は増速を命じた。 「あの船の後方に回って、その左舷に出てみよう。相手を月光の下に置けばよく分かるかも知れない」 「相手の燈火も走っている。成川の信濃丸も走っている。それに速力の遅い船でもあって、
「相手の後方に廻りその左舷に出る」 というような動作が簡単に出来るわけではなかった。じつに時間がかかった。発見が二十七日午前二時四十五分で、この運動が完成したのは午前四時三十分ごろである。 なるほど、闇に黒い船影がシミのように浮かんでいる。三本マストに二本煙突であった。 「仮装巡洋艦だろうか」 と、成川がかたわらをかえりみた。たれかが、仮装巡洋艦ズネープルではないでしょうか、と言ったが成川は返事をせず、さらに接近を命じた。 この信濃丸のやったもっとも勇気ある行動は、相手の舷に接するまで船を近づけたことである。相手が軍艦なら信濃丸は一発で轟沈されるところであった。 接近して備砲がないことを知った。 「やはり、病院船だ」 と、成川はようやく断定した。ところが相手
── 病院船アリョール ── が、信濃丸を僚船とみたらしく、このとき念の入ったことに、電気燈を点滅させて信号を送ってきたのである。 「こっちを仲間と思っている」 と、成川は言った。とすれば、どこかに僚船がいるという証拠である。つまり、艦隊ではないか。 信濃丸のすべての乗員が、眼を皿にして八方を見た。成川も夜間双眼鏡ナイトグラスでその辺りを見た。しかし海上の濛気もうき
が深いせいか、何も見えなかった。 成川は、なおも入念だった。相手の船を停めさせて臨検しようとおもった。彼はまずボートのおろし方の準備をととのえさせた。あとは停船命令を発するのみであった。 このとき、夜が白んだ。 おぼろげながら敵船の甲板上の様子などが見えるようになった。たれの視線も、その船にとらわれていた。 が、たれかが叫んだ。 驚くべきことに、信濃丸はバルチック艦隊の真ま
っ只中ただなか にいることを知ったのである。大小の無数の軍艦が煤煙を吐きつつそれぞれが巨城のごとく海面に横たわり、楼やぐら
をあげ、白波を蹴り、ひた押しに北東に向かって進んでいるのである。信濃丸の右舷や艦首の方角にいる艦はとりわけ巨おお
きかった。左舷の後ろにもちかぢかと大艦がせまっていた。もっとも近い艦でわずか千メートル程度にすぎなかった。 |