三笠は佐世保に入港した。佐世保を離れれば一路、南朝鮮の鎮海湾へ行く。 佐世保を出たのは、二月二十日である。 河合氏は、語る。 「佐世保港はご存じのように、大変幅の狭い港です。三笠が出て行くのが、両岸の村々からよく見えます。その沿岸の村々に小学生がたくさん出ていて、日の丸の小旗を振りながら見送ってくれました」 「軍艦行進曲」 というポピュラーな曲が三笠艦上で演奏されたのは、日本海海戦を通じてこの時だけであった。おそらく、両岸の村々で小旗を振っている小学生に応えるためにこの演奏がおこなわれたのであろう。 「なにぶん当時の軍艦行進曲はハ長調ですからずいぶん音が高くて吹きにくかったが、力強さはあったかもしれません」 二十六人が後甲板に整列し、軍楽師丸山寿次郎が、准士官の軍服を着て指揮をした。 歌詞は、鳥山啓の
「此の城」 であることはしでに述べた。 |