享保九年の秋であった。彼は、赤間が関から小倉に渡り、豊前の国宇佐八幡宮を拝し、山国川をさかのぼって耆闍屈山羅漢寺に詣もう
でんものと、四日市よっかいち
から南に赤土の茫々ぼうぼう たる野原を過ぎ、道を山国川の渓谷に添うてたどった。 筑紫つくし
の秋は、駅路えきろ の宿りごとにふけて、雑木の森には櫨はじ
赤くただれ、野には稲黄色くみのり、農家の軒には、このへんの名物の柿が、真紅の珠たま
をつらねていた。 それは八月に入って間のないある日であった。 彼は、秋の朝の光に輝く、山国川の清冽せいれつ
な流れを右に見ながら、三口から仏坂の山道を越えて、午近きころ樋田ひだ
の駅に着いた。 さびしい駅で昼食ちゅうじき
の斎とき にありついたのち、ふたたび山国谿だに
に添うて南をさした。樋田駅から出はずれると、道はまた山国川に添うて、火山岩の河岸かし
を伝うて走っていた。 歩みがたい石高道を、市九郎は、杖つえ
を頼りにたどっていたとき、ふと道のかたわらに、このへんの農夫であろう、四、五人の人々がののしり騒いでいるのを見た。 市九郎が近づくと、その中の一人は、早くも市九郎の姿を見つけて、 「これは、よい所へ来られた。非業ひごう
の死を遂げた、あわれな亡者じゃ。通りかかられた縁に、一遍の回向えこう
をしてくだされ」 と、言った。 非業の死だと聞いたとき、剽賊ひょうぞく
のためにあやめられた、旅人の死骸ではあるまいかと思うて、市九郎は過去の悪業を思い起こして、刹那にわく悔恨の心に、両脚あし
のすくむのを覚えた。 「見れば水死人のようじゃが、ところどころ皮肉の破れているのは、いかがした仔細しさい
じゃ」 と、市九郎は、おそるおそる聞いた。 「ご出家は、旅の人と見えて、ごぞんじあるまいが、この川を半町も上れば、鎖渡くさりわた
しという難所がある。山国谿第一の切所きりしょ
で、南北往来の人馬が、ことごとく難儀する所じゃが、この男はこの川上柿坂郷かきさかごう
に住んでい馬子まご じゃが、今朝鎖渡しの中途で、馬が狂うたため、五丈に近い所をまっ逆さまに落ちて、見られるとおりの無残な最後じゃ」
と、その中の一人が言った。 「鎖渡しと申せば、かねがね難所とは聞いていたが、かようなあわれを見ることは、たびたびござるのか」 と、市九郎は、死骸を見守りながら、打ちしめって聞いた。 「一年に、三、四人、多ければ十人も、思わぬ憂目うきめ
を見ることがある。無双の難所ゆえに、雨風あめかぜ
に桟かけはし が朽ちても、修繕も思うにまかせぬのじゃ」
と、答えながら、百姓たちは死骸の始末にかかっていた。 市九郎は、この不幸な遭難者に、一遍の経を読むと、足を早めてその鎖渡しへと急いだ。 |