〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-]』 〜 〜
── 恩 讐 の 彼 方 に ──
 

2015/07/06 (月) 

三 ノ @

二十里に余る道を、市九郎は、山野の別なくただ一息に せて、翌くる日の午下ひるさが り、美濃国みのくに大垣おおがき 在の浄願寺に駆け込んだ。彼は、最初からこの寺を志して来たのではない。彼の遁走とんそう の途中、偶然にこの寺の前に出たとき、彼の惑乱した懺悔ざんげ の心は、ふと宗教的な光明にすがって見たいという、気になったのである。
浄願寺は、美濃一円真言宗の僧録であった。市九郎は、現往明遍げんおうみょうへん 大徳納だいとくのう の袖にすがって、懺悔のまこと をいたした。上人しょうにん はさすがに、この極重悪人をも捨てなかった。市九郎が有司ゆうし の下に、自首しようかというのをとめて、
「重ねがさね悪業を重ねたなんじ じゃから、有司の手によって身を烏木きょうぼく にさらされ、現在の報いをみずから受くるのも一法じゃが、それでは未来永劫えいごう 焦熱地獄の苦艱くげん を受けておらねばならぬぞよ。それよりも、仏道に帰依きえ し、衆生済度しゅじょうさいど のために、身を捨てて人を救うとともに、汝自身を救うのが肝心じゃ」
と、教化した。
市九郎は、上人の手によって得道とくど して、了海りょうかい と法名を呼ばれ、ひたすら仏道修行に肝胆をくだいたが、道心勇猛ゆうもう のために、わずか半年に足らぬ修業に、行業ぎょうごう氷霜ひょうそう よりもきよく、あした には三密の行法をこらし、夕には秘密念仏の安座を離れず、二行彬々ひんひん として豁然かつぜん 智度の心きざし、あっぱれの知識となりすました。
彼は自分の道心が定まって、もう動かないのを自覚すると、師の坊の許しを得て、諸人救済の大願を起こし、諸国雲水の旅に出たのであった。
美濃の国をあとにして、まず京洛きょうらく の地を志した。
彼は、幾人もの人を殺しながら、たとい僧形の姿なりとも、自分が生きながらえているのが心苦しかった。諸人のため、身を粉々にくだいて、自分の罪障の万分の一を償いたいと思っていた。ことに自分が、木曾山中にあって、行人をなやませたことを思うと、道中の人びとに対して、償いきれぬ負担を持っているように思われた。
行住坐臥にも人のためを思わぬことはなかった。道路に難渋なんじゅう の人を見ると、彼は、手を引き、腰を押して、その道中を助けた。病に苦しむ老幼を負うて、数里に余る道を遠しとしなかったこともあった。本街道を離れた村道の橋でも、破壊されているときは、彼はみずから山に入って、木を切り、石を運んで修繕した。路のきずれたのを見れば、土砂を運びきたってつくろ うた。
かくして、畿内きない から中国を通して、ひたすら善根を積むことに腐心したが、身に重なれる罪は、空よりも高く、積む善根は土堆どたい よりも低きを思うと、彼はいまさらに、半生の悪業の深きを悲しんだ。
市九郎は些細ささい な善根によって、自分の極悪が償いきれぬころを知って、心を暗うした。
逆旅げきりょ の宿の寝覚めにはかかるたのもしからぬ報償をしながらなお生をむさぼっていることが、はなはだ不甲斐ふがい ないように思われて、みずから殺したいと思ったことさえあった。が、そのたびごとに、不退転の勇を翻し、諸人救済の大業をなすべき機縁のいたらんことを祈念した。

『恩讐の彼方に』 著:菊池 寛 ヨリ

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