彼は、深い良心の呵責
にとらわれながら、帰って来た。そして家に入ると、すぐさま、男女の衣装と金とを、けがらわしいもののように、お弓の方へ投げやった。 女は、悠然ゆうぜん
としてまず金の方を調べてみた。金は思ったより少なく、二十両をわずかに越しているばかりであった。 お弓は殺された女の着物を手に取ると、 「まあ、黄八丈きはちじょう
の着物に紋縮緬もんちりめん の襦袢じゅばん
だね。だが、お前さんこの女の頭の物は、どうおしだい」 と彼女は詰問きつもん
するように、市九郎を顧みた。 「頭の物!」 と、市九郎は半返事をした。 「そうだよ。頭の物だよ。黄八丈に紋縮緬の着つけじゃ、頭の物だって、擬物まがいもの
の櫛くし や笄こうがい
じゃあるまいじゃないか。わたしは、先刻もあの女が菅笠を取ったときに、ちらとにらんでおいたのさ。玳瑁たいまい
のそろいに相違なかったよ」 と、お弓はのしかかるように言った。殺した女の頭の物のことなどは、夢にも思っていなかった市九郎は、なんとも答えるすべがなかった。 「お前さん!
まさか、取るのを忘れたのじゃあるまいね。玳瑁だとすれば、七両や八両は確かだよ。駆け出しの泥棒じゃあるまいし、なんのために殺生をするのだよ。あれだけの衣装を着た女を、殺しておきながら、頭の物に気がつかないとは、お前は、いつから泥棒稼業におなりなったのだえ。なんというどじをやる泥棒だろう。なんとか、言ってごらん!」
と、お弓は威丈高いたけだか になって、市九郎にくってかかってきた。 二人の若い男女を殺してしまった悔いに、心の底までおかされかけていた市九郎は女の言葉から、深く傷つけられた。彼は、頭の物を取ることを、忘れたという盗賊としての失策を、あるいは無能を、悔ゆる心は少しもなかった。自分は、二人を殺したことを、悪いことと思えばこそ、殺すことに気も転動して、女がその頭に十両にも近い装飾をつけていることをまったく忘れていた。 市九郎は、今でも忘れていたことを後悔する心は起こらなかった。強盗に身を落として、利欲のために人を殺してはいるものの、悪鬼のように相手の骨までは、しゃぶらなかったことを考えると、市九郎は悪い気持はしなかった。それにもかかわらず、お弓は自分の同性が無残にも殺されて、その身につけた下衣までが、殺戮者さつりくしゃ
に対する貢ぎ物として、自分の目の前にさらされているのを見ながら、なおその飽き足らない欲心は、さすが悪人の市九郎の眼をこぼれた頭の物にまで及んでいる、そう考えると、市九郎はお弓に対して、いたたまらないようなあさましさを感じた。 お弓は市九郎の心にこうした激変が、起こっていることをまったく知らないで、 「さあ!
お前さん! 一走り行っておくれ。せっかく、こっちの手に入っているものを遠慮することは、あたらないじゃないか」 と、自分の言い分に十分な条理があることを信ずるように、勝ち誇った表情をした。 が、市九郎は黙々として応じなかった。 「おや!
お前さんの仕事のアラを拾ったので、お気にさわったとみえるね。ほんとうに、お前さんは行く気はないのかい。十両に近いもjけ物を、みすみすふい・・
にしてしまうつもりかい」 と、お弓は幾度も市九郎に迫った。 |