〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-]』 〜 〜
── 恩 讐 の 彼 方 に ──
 

2015/07/05 (日) 

二 ノ @

市九郎とお弓とは、江戸を逐電ちくでん してから、東海道はわざと避けて、人目を忍びながら、東山道を上方へと志した。
市九郎は主殺しの罪から、たえず良心の呵責かしゃく を受けていた。が、けんぺき・・・・ 茶屋の女中上がりの、莫連者のお弓は、市九郎が少しでも沈んだ様子を見せると、
「どうせ凶状持ちになったからには、いくらくよくよしてもしょうがないじゃないか。度胸をすえて世の中をおもしろく暮らすのが上分別さ」 と、市九郎の心に、あけくれ悪の拍車を加えた。
が、信州から木曾きそ薮原やぶはら の宿まで来たときには、二人の路用の金は、百も残っていなかった。
二人は、窮するにつれて、悪事を働かねばならなかった。最初はこうした男女の組み合わせとしては、最もなしやすい美人局つつもたせ を稼業とした。そうして、信州から尾州へかけての宿々で、往来の町人百姓の路用の金を奪っていた。
はじめのほどは、女からのはげしい教唆きょうさ で、つい悪事を犯しはじめていた市九郎も、ついには悪事のおもしろさを味わいはじめた。浪人ろうにん 姿をした市九郎に対して、被害者の町人や百姓は、金を取られながら、すこぶる柔順であった。
悪事がだんだん進歩していった市九郎は、美人局からもっと単純な、手数のいらぬ強請ゆすり をやり、最後には、切り取り強盗を正当な稼業とさえ心得るようになった。
彼は、いつとなしに信濃しなの から木曾へかかる鳥居峠とりいとうげ に土着した。そして昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。
彼はもうそうした生活に、なんの躊躇ちゅうちょ をも、不安をも感じないようになっていた。金のありそうな旅人をねらって、殺すと巧みにその死体を片づけた。一年に三、四度、そうした罪を犯すと、彼はゆうに一年の生活を支えることが出来た。
それは、彼らが江戸を出てから、三年目になる春のころであった。参勤交代の北国大名の行列が、二つばかりつづいて通ったため、木曾街道の宿々は、近ごろになく賑わった。ことにこのころは、信州をはじめ越後えちご や、越中からの、伊勢いせ 参宮の客が街道に続いた。その中には、京から大阪へと、遊山ゆざん の旅を延ばすのが多かった。市九郎は、彼らの二、三人をたおして、その年の生活費を得たいと思っていた。
木曾街道にも、杉やひのき に混じって咲いた山桜が散りはじめる夕暮れのことであった。 市九郎の店に男女二人の旅人が立ち寄った。それは明らかに夫婦であった。男は三十を越していた。女は二十三、四であっただろう。供を連れない気楽な旅に出た信州の豪農ごうのう の若夫婦らしかった。
市九郎は、二人の身なりを見ると、彼はこの二人を今年の犠牲者にしようかと、思っていた。
「もう薮原の宿までは、いくらもあるまいな」 こういいながら、男の方は、市九郎の店の前で、草鞋わらじ のひもを結び直そうとした。市九郎が、返事をしようとする前に、お弓が、台所から出て来ながら、
「さようでございます。もうこの峠をおりますれば半道はんみち もございません。まあ、ゆっくり休んでからになさいませ」 と、言った。
市九郎は、お弓の、この言葉を聞くと、お弓がすでに恐ろしい計画を、自分にすすめようとしているのを覚えた。薮原の宿までには、まだ二里に余る道を、もういくらもないようにいいくるめて、旅人に気をゆるさせ、彼らの行程が、夜に入るのに乗じて間道を走って、宿の入口で襲うのが、市九郎の常套じょうとう の手段であった。その男は、お弓の言葉を聞くと、
「それならば、茶なと一杯所望しようか」 と、言いながら、もう彼らの第一の罠に陥ってしまった。
女は赤い紐のついた旅の菅笠すげがさ を取り外しながら、夫のそばに寄り添うて、腰をかけた。
彼らは、ここで小半刻こはんとき も、峠を登りきった疲れを休めると、鳥目ちょうもく を置いて、紫に暮れかかっている小木曾おぎそ の谷に向かって、鳥居峠を降りて行った。

『恩讐の彼方に』 著:菊池 寛 ヨリ

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