〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-]』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(七)
 

2015/07/01 (水) 

宮 古 島 (三)

A・T・マハンは、ロジェストウェンスキーの大航海については賞讃を惜しまなかったが、しかし戦闘指導者としてのこの提督についてはひややかな分析を行い、とくに彼が決戦前四日間においておかした誤りを執拗に指摘している。
「彼は目的の単一性を欠いていた」
と、マハンは言う。敵に勝つということの目的に対してあらゆる集中をおこなうべきの知的作業において、ロジェストウェンスキーは二兎を追ったというのである。
二兎とは 「ウラジオストックへ遁走し、それによって残存兵力が二十隻になったとしても極東の戦局に対して重大な影響を与え得る」 ろいう目的が一兎・・ である。
他の一兎・・ は、 「東郷と対馬付近で遭遇するであろう。これと当然ながら戦闘を交える」 という目的であった。一行動が二目的をもっていた。一行動が一目的のみを持たねば戦いには勝てないというのがマハンの戦略理論であった。彼は目的の単一性こそ勝利の道であるという自分の理論の構築のためにあらゆる材料を用いているが、そのためにドイツの歴史家ランケ (一七九五〜一八八六) の政略論まで引用している。 「ウイリアム三世 (一六五〇〜一七〇二) がイングランドにおいてジェームス二世を圧倒し得た理由は、彼が自分のまわりのわずらわしい状況をして、彼の主要目的の追求の邪魔をさせなかったからである。彼はあらゆる瞬間において適切な決心をしたが、その決心のすべては、かれが求めつつあったただ一個の目的の貫徹のために行われたのである」 という。マハンは東郷がこの 「目的の単一性」 という原則に忠実であったのに対し、ロジェストウェンスキーが二兎を追うためにその行動原理がきわめてあいまいになっていることを指摘している。
「ロジェストウェンスキー提督がその目的の一つをウラジオストックへの遁走においたことは別に悪くはない。しかしその実現は確実に可能かといえば当時の状況から見て蓋然性プロバビリティ は存在しなかった。途中での戦闘は不可避であった。戦闘が不可避である以上、同提督としては途中の戦闘を想定し、すべての軍艦に対し、戦闘の邪魔になるものはある時期に捨ててしまっておくべきであった。しかし同提督は遁走と戦闘の二兎を追うがためにそれすらしなかった」
前記の言葉をやや解説風に述べると、戦闘のためには艦の運動性をよくしておかなければならない。そのためには遁走用の満載石炭 (旗艦の司令長官室にまで石炭を積んでいた) を適当に減らし運動性の軽快さを取り戻さねばならなかったのに、同提督はそれをせず、このためどの艦も石炭を積み込みすぎて吃水きっすい が異常に下がっていた。たとえば馬鈴薯を詰め込んだ袋を全身にしばりつけてリングにのぼってゆく拳闘選手のようなもので、戦闘を目的とする軍艦としては自殺行為に近いものであった。
もっとも、戦後ロジェストウェンスキーを弁護しつづけた彼の幕僚 (作戦幕僚ではなく、記録文学を書くための幕僚) セミヨーノフ中佐はこの点を否定し、これらの事実指摘を中傷であるとし、 「わが各艦が石炭を過載したままツシマの海戦に臨んだという説 (乗組士官たちの) があるが、彼らはなんという鉄火面のウソツキであることか」 と言っているが、この点にかぎってはセミヨーノフの方が強引な弁護者でありすぎる。
実情は各艦とも石炭を満載していた。すくなくとも戦闘前に余分の石炭を捨てようとはしなかった。ロジェストウェンスキーはあくまでも二兎を追っていたのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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