この日、鎮海湾付近は小雨模様であった。藤井較一大佐の汽艇が三笠に近づいたとき、煙雨のなかにカッターが一隻あらわれた。
「どなたか」 と藤井が聞くと、その艇の水兵が、 「島村閣下です」 と答えた。 第二艦隊第二戦隊司令官の少将島村速雄のことである。島村はごく最近まで東郷の参謀長をつとめていたが、今は加藤友三郎に後をゆずって戦隊司令官になっている。 藤井は、島村のカッターに移った。 「私はこういう意見具申をするつもりです」 とその説を述べると、島村は
「ちょうどいい」 とひどくよろこんだ。島村も同意見で、それを具申するために三笠を訪ねようとしていたのである。 両人は三笠にのぼった。島村は角力
とりでもつとまりそうなほどの大男で、体相応に心の広い男でもあった。彼が参謀長のときいっさいを真之に任せきったということはすでに述べたとおりだが、その島村が、すでに戦隊司令官に転出していながらわざわざ三笠を訪ねて意見具申をするというのはよほどのことであった。 島村は、真之ら連合艦隊幕僚が、東京の大本営に対し、 ──
敵はどうやら太平洋をまわるらしい。このまま鎮海湾に居すわっていてはとんでもないことになる。我われは移動をする。 という電報を打ったことを耳にした。この大男が、まるで驢馬ろば
のように驚いてしまった。 (秋山は考えすぎている) と、あれほど真之を信頼し、真之の死後も 「日本海海戦の作戦はすべて秋山君がやったのです」 ということを告別式で言明したほどのこの男が、この瞬間、真之が信じられなくなった。 (秋山は神経が疲れきっているのかもしれない) と思ったり、あるいは、 (海上体験において老熟していないからだろうか) と思ったりした。いずれにしても、移動が不可であることを東郷その人に献言しようとしたのである。 東郷は長官室にいた。島村と藤井が入った。席をあたえられたため藤井はすわろうとしたが、島村は起立したまま、口を開いた。彼はあらゆるいきさつよりもかんじんの結論だけを聞こうとした。 「長官は、バルチック艦隊がどの海峡を通って来るとお思いですか」 ということであった。 小柄な東郷はすわったまま島村の顔をふしぎそうに見ている。質問の背景を考えていたのかも知れず、それともこのとびきり寡黙な軍人は、打てばひびくような応答といおうものを個人的習慣として持っていなかったせいであるかも知れない。やがて口を開き、 「それは対馬海峡よ」 と、言い切った。東郷が、世界の戦史に不動の位置を占めるにいたるのはこの一言によってであるかも知れない。 |