〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-]』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(七)
 

2015/06/24 (水) 

艦 影 (十三)

「三笠艦上において会議」
といったふうの表現がこの当時の新聞や雑誌にしばしば出た。
東郷も参謀長の加藤も、あらたまった会議というものを開かなかった。ただ意見のある者が 「三笠」 にやって来てその所信を申し述べたり幕僚たちと議論したりするとおいうことはあった。
「格別な会議は開かない」
真之が明言しているのを聴いた人もある。連合艦隊の次席参謀だった飯田久恒つねひさ (のち中将) などがそうであった。長官招集の景色ばった会議を開いたところでいい工夫が出てくるはずがないというのがその理由であった。ただし意見をもって三笠を訪ねてくる者には真之は喜んで会ったし、さらには鈴木貫太郎の例でもわかるように、真之自身が出かけて行くこともあった。陸軍は正規の手続きをふまずに意見具申をすることは禁じられていたが、海軍の場合手続きすら必要でなく、どういう上級職に対しても自由に意見を述べることが出来た。
このような観測の混迷の中で、方針の統一に多少の役割をはたしたのは、村上彦之丞率いる第二艦隊の幕僚団の意見具申だっといえる。同艦隊の参謀長は藤井較一こういち 大佐であった。
藤井は、
(どうも秋山たち連合艦隊幕僚は鎮海湾を去って北上するつもりでいるようだ)
という消息を知り、とんでもない、と思った。藤井は敵が対馬コースをたどるということを確信していた。
藤井はまず自分の先任参謀である佐藤鉄太郎中佐に相談をもちかけた。
「連合艦隊幕僚は、どうも移動論にかたむいているようだが、君はどう思うか」
と聞くと、佐藤の意見は秀才らしく用心深かった。 「隠岐島付近に移るほうがいい」 というのである。連合艦隊は現在鎮海湾から対馬にかけて待機している。隠岐島まではほんのわずかな距離で、その程度ならわざわざ移動しなくてもいいほどであったが、佐藤の頭脳はつねに毛彫けぼり 細工のような犀利さいり な感覚を愛する癖があった。隠岐島付近で待つならば、敵が対馬コースをとろうと太平洋コースをとろうと、変に応じて臨機に動けるというのがその論の根拠であったが、しかしこれは小刀細工とまではいかなくても、古来、作戦というものに必要な、なた で割ったように大筋を通しきるという態度ではなかった。
「すると君も移動説か」
と、佐藤とはちがってやや粗剛な藤井は、佐藤のこういう考え方を 「移動説」 のほうに四捨五入してしまい、不興げに声を荒げた。
「いいえ、わずかに移動するだけです」
「わずかに?」
藤井は首をかしげた。
「しかもすぐ移動せよとは申しておりません」
と、佐藤は言った。佐藤によればいま移るべきではない。しかし二十六日にいたってもなお敵の消息が不明の場合、隠岐島に移るほかない、というのである。
「すると、さいあたっては移動はいかんという点では私と同意見だな」
「いかにもそうです」
「よろしい。では第二艦隊の意見として移動不可説を連合艦隊の幕僚部にさしだしても依存はないな」
と藤井はこの下僚の秀才に念を押して、その承諾を得、 「三笠」 を訪れたのである。」

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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