要するにロジェストウェンスキーにすれば、艦隊を率いてウラジオストックにもぐりこんでしまえばよい。そてで彼の作戦目的は達するわけであり、途中の海戦はなければ無い方がよかった。 戦略的見地から見ても、ウラジオストック港にロシアの大艦隊がびっしり詰まっているということだけで、日本にとって日本海は安全な海でなくなり、満州への補給路をおびやかされることになるのである。 が、途中で日本艦隊が待ち伏せている。これをひっ外
し、血路を開いて逸散いっさん
にウラジオストックに走りこめばいいのだが、なんといっても最上の方法は日本艦隊に遭遇することなく目的地に達することであった。それが不可能とすれば、より損害を少なくして遁入とんにゅう
できる方法を考えることである。 「日本艦隊を太平洋に引きずり出す」 という方法があった。 小笠原諸島を占領するのである。小笠原諸島をオトリにし、やって来る日本艦隊を随所に叩き、隙を見て戦隊ごとに逸走いっそう
し、北方迂回でウラジオストックを目指す。なにしろ太平洋は広く、姿をくらますにはうってつけであったが、しかしこの方法の難点は航路が不案内な上に、途中で燃料不足になるという不安のあることだった。 「艦隊を二つに分ければどうか」 という案も出た。快速戦艦の戦隊である第一戦艦隊のみで短距離の対馬海峡を突っ切る。そのほかの戦隊は北方をゆっりろまわってウラジオへ入る
── という案で、この二方面作戦は日本艦隊を分散させるという利点はあったが、同時にもし日本艦隊が注文どおり分散してくれない場合、対馬海峡を行く第一戦艦隊は袋叩きになってしまうという危険が十分にあった。しかしこの方法は危険の分散法としては妙味があり、生きのびてウラジオへ入れる艦数は諸案のうちもっとも多いかも知れない。 いまひとつの案は、日本側の目をくらますため、小単位ごとに偽航路にせこうろ
をとったり、互いに陽動的行動に出たりして敵の判断を混乱させ、それにつられて小部隊ずつやって来る日本艦隊と手あたりしだいに不期遭遇戦を演じつつばらばらでウラジオへ向かって行く方法であったが、これはみずから混乱をつくりだすようなもので、名誉あるロシア帝国の海軍としてはとるべきでないかもしれない。 要するに、決定案はなかった。 ロシア帝国の運命を決するこの作戦につき、ロジェストウェンスキーは五月八日にただ一回だけ会議を開いたきりで、ついに再開しなかったのである。 さらに信じられぬほどのことだが、その翌九日に合流したネガトフ少将に対しても、ロジェストウェンスキーは、このもっとも重要な話題を出さなかった。指示もしなかった。 そのあと、十四日の抜錨、出港である。 ただロジェストウェンスキーは、各司令官や各艦長に密封命令をわたしておいた。出港後、彼らはその命令書の封を切った。 「対馬へ。──」 と、書かれていた。しかも全力をあげてである。
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