〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/06/04 (木) 

黒 溝 台 (十九)

永沼の挺進隊は、移動をつづけた。
二月十三日、八宝屯という部落まで来た時、
「優勢なる敵騎兵、われを追跡しつつあり」
というおどろくべき報告を受けた。
(ついに来たか)
と、永沼は思った。
永沼は後年、ロシア側の記録を見て知ったのだが、ミシチェンコが放った追跡部隊の一つが、すでに永沼らの所在を探知してしまっていた。兵力については永沼はこの時正確にはつかめなかったが、実体は二百騎であった。砲を持っていた。彼らは長春方面から前進しつつあり、その位置は永沼の八宝屯から東南二十キロにあるという。
(戦うべきかどうか)
という決心をする前に、永沼は先ず敵情を出来るだけ詳しく知ろうとし、この日は八宝屯に居すわった。翌朝、新集廠にむかって前進した。
── 敵騎兵、消息なし。
という報告があったからである。
この永沼挺進隊を捜索し、追跡していたのは、レニツキー大尉の率いる騎兵三個中隊と砲二門であった。兵力二百騎である。
レニツキーが得た情報では、永沼の兵力は誇大に拡大されてた。永沼は歩兵も砲も
「騎兵四個中隊を主力とし、歩兵四個中隊、これに砲四門。ほかに馬賊三千人」
というぐあいになっていた。
要するにレニツキーは実際は自分の方が優勢であったが、しかし日本軍を優勢と見た。が、彼は勇敢にもこれを襲撃して撃滅しようとした。この顔半分ヒゲでおおわれた中年男は、めずらしくコサック出身の将校であり、貴族でない。
「日本軍は、鉄橋破壊の目的をもって新集廠方面に移動しつつあるがごとし。われは新集廠に前進し、その退路を遮断せんとす」
と、レニツキーは部下に自分の意図を明らかにし、急進した。
レニツキーが、新集廠をへだてる十二キロの地点に達したのは、十四日午後四時ごろである。
このとき、レニツキーは白皚々はくがいがい たる雪原のなかを移動して行く日本軍縦隊を肉眼をもってとらえた。
レニツキーの戦闘法はまずかった。日本軍を撃滅するなら包囲すべきであったものを、隊の展開もせず砲を丘陵斜面に前進させ、砲撃を命じたのである。
砲声があがり、砲弾が、永沼挺進隊の前方に落下して爆発し、黒煙をあげた。風がつよく、黒煙はすぐ散った。
永沼とって、このようにしていきなり砲弾が落下してきたことは、意外であり、この砲弾のおかげで敵の所在を知った。
すぐ隊を散らせ、偵察させる一方、騎走して付近の高地のかげに兵力を集中した。
やがて戻って来た馬隊の報告によれば、
── コサックざっと千騎。砲数門。
という。この報告も誇大であった。
永沼はすぐにはその数字を信じなかったが、しかしたとえ六倍近い敵とはいえ、これと正面から戦闘を交えようとした。すでに新開河において鉄橋爆破の目的を達している以上、もはや退避する必要がなかった。
「やってみる」
と、永沼は決心した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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