営口に突入すべき任務を負っているのは、ホラノフ大佐の率いる縦隊である。 この縦隊は、各騎兵連隊から精兵
をすぐって集成された部隊で、その運動は予定通り進捗しんちょく
した。彼らが営口停車場の西北五キロの地点にある柳樹溝に達したとき、はるかに東南方の方角に砲声が聞こえはじめた。 「営口の包囲は完成した」 と、ホラノフは了解した。あの砲声がいわば合図のようなものであることをこの大佐は知っており、さらにその砲兵陣地にミシチェンンコ中将がいることも知っていた。 ホラノフは攻撃の部署を終え、開進しはじめた時、ミシチェンコから伝令が来て、 「営口停車場に日本兵なし」 というおどろくべき情報を伝えた。あとで分かったことだが、ミシチェンコの誤った敵情判断によるものであった。日本側の守備司令官は、その部下が老兵もしくは輜重輸卒であるため、敵を十分ひきつけてから射撃を開始すべく兵を各所に隠していたのである。 ミシチェンコはこの敵情判断にもとづき、ただちにホラノフ縦隊を突入させようとし、そのように命じた。突入のために、ミシチェンコは、 「従って予は砲兵に砲撃を中止せしめんとす」 とも、ホラノフに伝えた。 ホラノフは、急進した。途中、営口の西北部に沼沢地があり、当然ながら結氷していた。彼はここで騎兵に下馬させ、馬の保護のため騎兵三個中隊を残し、いっせいに営口に向かって戦闘行軍を開始した。ときに日が没し、かろうじて星明りがある。 このとき、先刻までの砲撃によって営口停車場に火災がおこり、あてりが急に明るくなった。 このことが、倉庫その他防御陣地でロシア軍の襲来を待っていた日本側に利益を提供した。ホラノフの部隊に対し、日本側は七百メートルの射程において猛烈な射撃を開始したのである。このためホラノフの部隊はほとんど瞬間で潰乱した。夜間でもあり、ホラノフはその部隊を掌握することが出来ず、伝令を諸方に出してその所在を確かめようとしているうちに死傷がふえてきたため、ホラノフはやむなくラッパ卒を呼んだ。 この有能な騎兵指揮官が騎兵としてもっとも騎兵的なこの機動作戦において最初に下した戦闘命令はラッパ卒に退却ラッパを吹かせることであった。 ときに午後七時四十分である。 この間、ミシチェンンコは砲兵陣地にいたが、彼もこれ以上この急襲作戦をつづけるべきかどうか、判断に迷っていた。すでに多数の情報が彼の手もとに入っていた。日本軍の数個大隊が大石橋から接近しつつあること、さらに牛荘城方面でも日本軍の一部隊が出現し、大遼河の渡河点をおさえてミシチェンンコの退路を遮断しとうとしていること
(その事実はなかった) など、彼が退却へ判断を傾斜させるべき材料がふんだんに出て来た。ついにミシチェンンコはこの急襲作戦を終了させようとし、諸縦隊に命令した。 概括して彼のこの大機動作戦は、ついやしたエネルギーのわりにはほとんど実効がなかったというべきであろう。 この間、秋山好古もミシチェンンコと類似した長躯作戦をロシア軍の後方に行っている。 |