〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/27 (水) 

黒 溝 台 (九)

ミシチェンコ中将の騎兵集団の南下とその破壊活動は、八日間続いた。馬蹄と長槍と大砲に象徴されるこの集団は、日本軍の後方において暴風のように吹き荒れた。
「兵力不明の敵騎兵集団、われに向かって前進しつつあり」
といったたぐいの悲鳴に似た急報が、各方面から兵站を守る守備軍司令部に入り、元来、薄弱な戦力しか持たない同司令部は、これを総司令部に急報して応援を乞うしかなかった。しかしクロパトキンの大軍と対峙たいじ している総司令部としても十分な兵力があるわけではなかったから、状況に応じ兵力を小出しに出しては救援に行かせる程度であった。
兵站を守る守備軍としては、元来戦闘力を持たない輜重輸卒しちょうゆそつ に重い六角銃身のロシア銃 (鹵獲品ろかくひん ) を持たせ、にわか作りの陣地を築き、さらに鉄道守備のための兵力を増加し、とくに鉄道については、
「死守せよ」
という、極端な表現 (この当時の命令用語には死守という表現は少ない) を用いて、世界最強のコサック騎兵に当らせようとした。
ミシチェンコは、とくに鉄道破壊のために、三個の集成部隊を編成した。
その第一隊は 「ドン」 と 「コーカサス」 両コサック騎兵連隊である。
第二隊は、 「ウラル」 と 「ザバイカル」 両コサック騎兵連隊であり、第三隊は、ロシア陸軍の正規騎兵ともいうべき竜騎兵連隊と護境コサック騎兵中隊であった。
いずれも勇猛で、手足を動かすように馬を駆ることに習熟した兵たちであったが、ただ いて欠点をあげるとすれば、捜索能力が概して日本騎兵より劣るということであろう。
このことは、両国の国民教育の程度差とかかわりがあるかも知れなかった。日本兵のすべては文字の読み書きが出来たが、ロシア兵ことにコサックで文字を識っている者は三割もなかった。さらには、これは秋山騎兵旅団の例でもいえることであったが、農村出身の兵よりも都会出身の兵の方が敵情偵察とおうことになれば機転が利き、役に立ったといわれているが、そういうことからいえば言えばコサック兵は、ロシアの辺境の田園だけが社会であり、頭の働きに機敏さを必要としないという点では日本の農村よりもはるかにその必要度が薄かった。
こにため、三個の集成部隊のうち戦闘をすれば最強と言われている 「ドン」 と 「コーカサス」 のコサック ── 第一隊 ── が、せっかく海城北方の鉄道線に達していながら、かんじんの鉄橋を発見することが出来ず、さらには夜間、道に迷い、行動中に朝になったためむなしく引き揚げている。
第二隊は、海城北方二キロの地点で鉄道に装薬したが、遼陽方面から南下して来た日本軍の兵站列車はぶじ通過し、どういうわけか通過後爆発した。第三隊も夜間、鉄橋を発見できずむなしく引き揚げている。
ミシチェンコはこれらの報告に唖然とし、
「どの連隊も夜盲症とりめ ぞろいか」
と、鞭をあげ、地面をたたいて言った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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