〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/27 (水) 

黒 溝 台 (八)

この凹地で方陣をつくって射撃姿勢をとった安原ら百人の騎兵の勇猛さは、驚嘆すべきものであった。
五百騎のコサックは、はじめ凹地をぐるぐると旋回しつつ馬上から射撃を試みていたが、安原隊の射撃に圧せられていったん退却した。この退却の途中、ロシア軍に従軍していたフランスの観戦武官ビュルテン海軍大尉意が馬から射ちおとされて戦死した。フランスがなぜ海軍士官をロシア騎兵に観戦従軍させていたのか、よくわからない。
ロシア軍はいったん退却し、日本軍同様全員が徒歩になって射撃戦を始めた。とくにロシア軍に有利だったのは、凹地の東方に民家が三軒あることだった。ここを占領し、その屋根の上から、凹地を見おろしつつ狙撃し始めた。
安原は、おどろいた。
(あの三軒の民家のために全滅する)
と思い、逆にそれを奪うべく、二個小隊に突撃を命じた。
この戦闘に参加したザバイカル・コサックの連中は去年の十月に満州に着いたばかりで、この戦闘が初陣であった。彼らは日本兵の突撃におどろき、民家の屋根からいっせいに跳び下りたが、しかし民家を捨てず、その塀に って、ふたたび射撃戦を開始した。
安原はみずから全隊を率いてこの民家を奪おうとするうち、腹部に貫通銃創をうけて倒れ、先任小隊長の岩井中尉がこれに代わったが、岩井も頚部の肉を銃弾で削がれた。が、なおも指揮をとり、つづいて右腕の骨を砕かれたが、それでみなおなお中隊の指揮をとり、ついに民家に近づくころ、さらに背中を銃弾が貫通した。岩井はなお倒れず、ついに激闘三時間で民家三軒を占領し、日没後、この民家をトーチカとしてさらに射撃戦をつづけた。
が、ロシア軍の兵力はいよいよ多くなり、ついにこの民家に放火し、砲兵をもって集中射撃させた。民家は燃え、中の日本兵のほとんどが焼死し、残余は岩井中尉に率いられて退却した。そのあとにやって来たロシア兵は、重傷で倒れている日本兵の頭と足を持ち、掛け声をかけながら一人ずつ火中に放り込んで始末した。
この戦闘については、激戦二時間に及んでなお日本騎兵の射撃が衰えなかったため、ミシチェンコ中将は、
「そのような敵の小部隊にかかずわっていることは、われわれの目的にとって何の利益もない。放棄して前進を継続する」
と言ったが、ところが前進すれば死傷者を遺棄してゆくことになるためそれに忍びず、死傷者収容のために増援部隊を出した。増援部隊だけで、竜騎兵二個中隊、砲兵一個小隊であった。砲兵は日本軍の民家からわずか八百メートルという近距離をもって連続射撃した。
ロシア軍の損害は、将校八、下士卒四十二、馬五十九である。
ミシチェンコ軍はこの夜この付近で宿営し翌朝、さらに台風のようなすさまじさで南下した。
このころになって日本軍総司令部は初めてミシチェンコが営口付近の日本軍の兵站基地を襲おうとしていることに気づいた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
Next