〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/26 (火) 

黒 溝 台 (七)

ミシチェンコ軍は長躯営口をめざした。
「べつに隠密行動をする必要はない」
と、ミシチェンコは、逃げもかくれもしない態度で南下していた。
「日本軍の小部隊を見れば撃破して行け」
と、前衛部隊に命じてある。馬蹄に踏み潰して行くつもりであった。
彼は軍を四縦隊に分けて南下した。途中、鉄道破壊にための騎兵の小部隊を多数先発させた。その結果からいえば、二十六ヶ所に爆薬を装置し、そのうち爆発したものは十二ヶ所であった。電信用の電柱も切りたおした。
さらにその行軍中、しばしば数騎から成る日本騎兵に遭遇した。秋山好古が派遣した騎兵斥候であった。彼ら日本騎兵は、おそらく生まれて始めて見たであろう騎兵の大集団の出現にきもをつぶした様子で、逃げ散ってしまった。
「以後、逃がすな」
と、ミシチェンコは命じた。その後、日本騎兵を見つけ次第、快走を持って追い、包囲し、出来る限り殺した。
この大集団に正面から対抗したのは、彼らの経路である接官堡せつかんぽ のあたりに駐屯していた騎兵一個中隊であった。
日本軍の最左翼は、秋山好古の騎兵旅団であることはすでに述べた。
好古はさらにその左翼の警戒のため、安原政雄大尉の一個中隊を接官堡付近に出しておいたのである。
安原は、自分の斥候の報によって、
── どうやら前方に騎兵が来ているらしい。
ということを知り、これを撃破すべく接官堡を出発したのは、十日午前十時ごろである。その兵力は七十騎であった。七十騎でもってミシチェンコの大軍と対戦しようとしたこの男の勇敢さは、ひとつには敵情についての昏さにもよった。彼はまさかそれだけの大軍が南下しているとは知らなかったのである。
途中、斥候を放ちつつ得たところでは、
「接官堡から八キロむこうの小馬糞泡しょうばふんぽう のあたりに百五十騎ほどの敵がいる」
ということだけであった。安原の勇気は、百騎 (途中、他の連隊の斥候を収容) の馬格貧弱な日本騎兵をもってコサック騎兵百五十騎を破ろうとしたところにあった。
ところが小馬糞泡に近づいてみると、敵は五百騎にふえていた。
さらにある将校斥候の実見では、彼は遠く駈けてそれよりも後方のミシチェンコの主力を遠望したのだが、最初、その地平線を圧する大騎兵団を見て、
渾河こんが の堤防ではないか」
と思ったという。
「いいえ、あれは堤防ではなく、森林ではないでしょうか」
と、目のいいその部下が言った。コサックの槍が林立していたからそう見えたのであろう。そのうち森林が動きだしたため、それが敵の主力だと分かったという。この将校斥候が小馬糞泡まで駈け戻った時は、安原大尉以下百騎が敵五百騎の重囲に陥ろうとしていた。
安原はあくまでもこれを撃破する決心をきめたが、尋常の手段をもってしてはとうていこれだけの敵に対抗することは出来ないと思い。小馬糞泡の後方二百メートルの地点にある凹地まで後退し、凹地に馬をつなぎ、全員が歩兵戦闘の形態をとり、射撃戦を展開した。
「あの日本人はなぜ逃げないのか」
と、ミシチェンコの部下のテレショフ少将は不思議に思ったと言う。この安原以下百騎を包囲したのが、同少将麾下のドン・コサック第四師団とコーカサス・コサック騎兵旅団のそれぞれ一部であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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