〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/26 (火) 

黒 溝 台 (六)

余談だが、筆者の知人が最近、コーカサス (カフカズ) 地方に旅行した。
黒海とカスピ海にはさまれて廻廊をなすために古来諸民族が入りまじり、さらに東西に横たわるコーカサス山脈が、これら諸民族に独特の気風と風俗を保存させた。勇敢で保守的であるといったことが、その特徴であろう。
十九世紀のロシア大侵略時代にこの地方もロシア帝国に併呑へいどん されてしまったが、それをきらって少数民族の反乱が多く、日露戦争当時も決して彼らはロシア体制に対し従順であったわけではない。
このあたりに、コサックの部落が多い。コサックというとその本来の意味はトルコ語で、
「自由の人」
という意味らしい。元来が、十五世紀ごろロシア帝国の地主の圧迫に堪えかねて南へ逃げた農奴や都市貧民たちがつくりあげた集団で、選挙による首長をいただいて国家的束縛から自由になっている人びとをさすものだが、その後逆にロシア帝国の侵略のための屯田兵にような役割をつとめさせられたりした。
このコーカサスにも、コサックのグループが多い。あるいはコサックでなくてもそれに似た社会形態をとっている少数民族がいる。その中に、現在のソ連体制のなかで 「北オセチア自治共和国」 という名の自治のワクをもらっている民族がいる。
日露戦争当時、満州の戦況がロシアにとっておもわしくなかったとき、ここの民族の壮丁がほとんど根こそぎ召集された。
ミシチェンコ中将が指揮している大機動軍の中に、
「ドン・コサック騎兵第四師団」
というのがあるが、彼らはその師団に属し、肥馬を騎し、小銃を肩に、長槍を手にして満州の戦線に参加した。彼らはシベリア鉄道で送られて来たもっとも新顔の兵たちであった。
コサックのことを、ドン・コサックというが、このドンというのはオセチア語で水という意味らしい。
筆者の知人が、この北オセチア自治共和国の首都であるオルジョニキーゼ市 (人口十六万あまり) に行くと、町に博物館があり、そこに日露戦争の時日本軍から分捕った戦利品 ── 軍刀、血に染まった日章旗の切れっぱしなど ── が陳列されている。ソ連邦は日露戦争を屈辱の歴史とみているのか、それにちなむ博物館がまず見られないそうだが、この少数民族の自治国にだけそれが存在している。
この町の有力者の一人が私の知人をこの博物館に案内し、あけっぴろげの陽気さで、こう説明したという。
これを見たまえ、勇武の民である日本人に対し、対等に戦ったのはオセチャ人だけである。われわれの勇武の証拠として自治国でこの陳列を大切にしている」
彼らは、ソ連邦の中での主力民族であるロシア人に対しては、むろん好感を持っていない。少数民族のはかない誇りの象徴として、日本人の血に染まった戦利品を大切にしているのであろう。
そのオセチア人も、コサック騎兵の一部を構成しつつ、ミシチェンコ中将の指揮のもとに南下しつつある。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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