〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/24 (日) 

黒 溝 台 (一)

これらヨーロpッパ経由の諜報に対する日本の満州軍総司令部の鈍感さは、驚くべきものがあった。
「ロシア軍が攻勢に出るなど、そんなばかなことがあるか」
という態度で終始した。
「この厳寒時に、大兵力の運動などはとても行えるものではない」
というのが、その唯一の理由であった。
この態度は、参謀、松川敏胤大佐が最初からとりつづけていたもので、児玉源太郎はこの松川の能力を信頼するところが深く、
「そのとおりだろう」
と、彼もまたそう信じた。
戦術家が、自由であるべき想像力を一個の固定観念でみずからしばりつけるということはもとも警戒すべきことであったが、長期にわたった作戦指導の疲労からか、それとも情報軽視という日本陸軍のその後の遺伝的欠陥がこのころすでに芽生えはじめていたのか、あとから考えても彼ら一団が共有したこの固定概念の存在はふしぎなほどである。
「この寒さに」
と、宮城県生まれの松川がつねにいう満州の寒さというのは、日本の東北の冬などとうてい比べものにならない。小便をすれば即座に凍るし、糞便の山はツルハシで打ちこんでも容易にくずれない。地下まで凍っているため、あらたな壕を掘ろうにも、ツルハシが跳ねかえって地面にわずかなカスリ傷をつけるのがやっとであり、一日かかって七センチしか掘れなかったという例もある。
道路は泥濘でいねい がそのまま凍っているため縦横に深いしわができており、砲車を引っぱって行くとすれば、馬が曳き人が車輪を手でまわすなど、大変なことになる。
「第一、ロシア軍の習性は、日本軍のように大地を走りっぱなしに走って猛攻に猛攻を重ねるということをしない。彼らは大軍団が前へ進むとそこで壕を掘り、くい を打ち、鉄条網をめぐらすといった陣地前進主義をとる。ロシア兵がいかに腕力が強くとも、この凍った地面を相手に壕を掘るというというような作業が出来るはずがない。従って彼らは春まで攻勢に出ない」
と、松川敏胤は考えていた。
児玉も同意している。
同意しただけでなく、いったんこの固定観念をつくりあげると、牢乎としてそれを動かさずその概念を通してしか物事を見ないために、それに反するどういう情報が入っても、
「馬鹿をいうな」
と、拒絶反応のみを示した。
この概念は、たった一つの有力な証拠によって十分粉砕出来るものであった。
ロシア人が、ナポレオンの常勝軍をロシア本国に引き入れて撃破したのは、この冬期を利用したからであった。彼らの運動はむしろ冬期において得意であり、さらにはその自軍の特性をロシア軍自身が伝統的に知っており、敵が冬将軍に悩まされているとき、彼らは一大反抗に出てくるのが戦史上の習性であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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