乃木希典とその随員は、柳樹房から来る。道案内に立つ安原参謀のスイス製の時計が、三十分ばかり遅れていた。 随員は、伊地知参謀長に右の安原、それに副官たちである。 ステッセルは、四十分待った。 やがて乃木一行が会場の門をくぐったのは、午前十一時三十分である。 乃木は門内に入って馬を降り、先着していた津野田参謀の敬礼を受けた。津野田は、通訳の川上俊彦とともにステッセルの出迎え役をつとめた。 津野田は挙手の礼の手をおろしてから、 「ステッセル閣下は到着しておれれます」 と、報告した。乃木はうなずき、大股になり、足早に本屋へ向かった。 やがて乃木は部屋に入ると、いきなり上席とされている床の側に立った。この場合、勝利者であるというほかに、乃木が大将であり、ステッセルが中将であるということによって乃木に上席が用意されていたのである。乃木は立ったままステッセルに向かって手をのばした。 ステッセルも手をのばし、握手した。 (乃木とはこういう人物であったのか) と、ステッセルの幕僚が内心驚いたほどに、乃木の容貌には尊大さが微塵
もなく、やや垂れた両眼が微笑で細くなっていた。 乃木は立ったまま挨拶した。 その挨拶を川上俊彦通訳が、ロシア語に翻訳した。 「われわれは君国のために力戦した。しかしながらすでに戦闘行為は熄や
み、こんにちこのようにして閣下とここで会見できることを、予は最大のよろこびとする」 と述べると、ステッセルはそれを受け、 「予もまた、祖国のために旅順要塞を防守した。しかしながらすでに開城に決した今日、閣下にここで見える機会を得たることは、予の深く光栄とするところである」 さらに乃木は立ったまま言う。彼は昨日、参謀総長を経て彼のもとに届いた電報の内容を披露した。明治帝の意志についてであった。 電文とは、 ──
将官ステッセルガ祖国ノタメ尽シタル功ヲ嘉よみ
シ給ヒ、武士ノ名誉ヲ保タシムベキコトヲ望マセラル。 というもので、このためステッセルとその随員に帯刀をゆるしたのである。 乃木はこのことを伝え、 「予もまた能うかぎり閣下のために便宜をはかりたい」 と言うと、ステッセルは先刻までとは別人のように明るい表情になり、そのことを感謝した。 この応答が終わると、乃木は雑談に移るべく、 「どうぞ」 と、相手に着席をうながし、みずからも腰を固い椅子に落ちつけた。 ステッセルがまず言ったのは、坑道戦をやりぬいた日本工兵の勇敢さについてであった。 「世界に比類のない勇敢さです」 と言い、さらに、砲兵の射撃能力が卓越していたことをほめ、つづいて、 「とくに二十八サンチ砲の威力は偉大でした」 と、言った。
|