〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/20 (水) 

水 師 営 (二十三)

ロジェストウェンスキーが率いるバルチック艦隊が、この北方人たちにとって耐え難い熱暑のなかをノシベ (マダガスカル島の北端) に向かって航海を続けているとき、彼らが行き着くべき巣であったはずの旅順においては、ステッセルと乃木希典の会見が行われた。
この会見は、一月五日である。すでに開城についての談判は終了し、かつ開城にともなう両軍の業務は進行しつつあったから、この両将の会見は法的にそれが必要であるわけではない。
ところが、ステッセルの方から、
「会いたい」
と、言って来た。降伏したステッセルにとってこれ以上の義務 ── つまり敵将に会うといったふうな ── ことは必要はなかった。しかし軍人は半面儀典的要素に富む職業であり、さらにはこの時代の軍人にはなお騎士的な儀礼を重んずるふう が残っていた。このような、いわば軍人が劇的儀礼を重んずる風は、この日露戦争をもって世界史的に最後の幕が閉じられたと見ていい。くりかえして言えば乃木希典とステッセルの会見は、戦争というこの惨禍をその結果においては美的に処理したという気分の最後の時代の最終の場面であったと言えるであろう。
会見の場所は、水師営である。水師営とは村の名であり、その会場として指定されたのはりゅう という百姓家であった。戦闘中この家は日本軍の野戦病院に使われていた。
「庭に一本ひともと なつめ の木」
と、後年の尋常じんじょう 小学国語読本」 九巻の 「水師営の会見」 の歌の歌詞にあるように、門を入って左の泥塀に沿って棗の木がある。樹齢百年以上といわれているが、歌詞に 「弾丸あともいちじるく」 とうたわれているように、無数の弾痕が樹皮を裂いて生肌をあらわしている。
  くずれ残れる民屋みんおく に、今ぞ会い見る二将軍
と、つづく。
約束された時間は、
「午前十一時」
であった。ステッセルは幕僚を率いてその五分前に水師営劉家の門に入った。
日本の衛兵が、鄭重ていちょうささつつ の礼を送り、ステッセルは歩行しつつそれに対し折り目正しく答礼した。
乃木は、まだ到着していない。
ステッセルは、会場に案内された。入口から左へ入った部屋が、会場である。
部屋は中国風の土間で、そこにアンペラが敷かれている。
机がある。
幅は腕の長さほどで、長さは一・八メートルほどの粗末なもので、この民屋が野戦病院であったときの手術台であった。この手術台が手術に使用されていやとき、しばしば弾が窓から飛び込んで来た。その弾痕があちこちについていた。それが見苦しいというので、白布がかけられた。ステッセルとその幕僚は、この机のまわりの椅子に腰をおろし、乃木を待った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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