〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/11 (月) 

水 師 営 (五)

コンドラチェンコは、ほとんど不眠不休で防戦指揮をした。旅順要塞のつよさはベトンの強さでなく、コンドラチェンコの強さであるといわれた。
乃木がまだ永久堡塁に対する強襲方式をつづけていた時など、コンドラチェンコは交通壕をつたって各堡塁を激励してまわり、一塁がうばわれそうになるとすぐ予備軍を注入しこれを撃退した。彼はその担当方面において一塁もうばわれることなく、ついに乃木軍の二〇三高地攻撃をむかえたのである。この戦闘では、コンドラチェンコは前線に近い北太陽溝に指揮所を置き、自分の戦線を完全に掌握し、破れ目が出来るとすかさず予備隊を送り、それらが全滅してついに兵がなくなると水兵部隊の応援を得、これを激励しては前線へ送り、さらには病院勤務兵まで引っ張り出して予備隊にした。戦闘の最後の段階では、コンドラチェンコの手もとには副官だけが残って、一兵もなくなった。
二〇三高地を失ったあと、ロシア軍の防御体制は大きくくずれ、士気も沮喪そそう したが、しかしコンドラチェンコの闘志だけは少しも衰えず、むしろこのことが、もともと戦意の薄いフォーク少将などの荷厄介になってきたような様子が見られる。
二〇三高地が十二月五日に陥ちたあと、七日、ステッセルは旅順の要塞司令部において作戦会議を開いた。当然ながら、
── 今後、どうするか。
ということが、主題である。
「防戦はこれからです」
と、コンドラチェンコは、沈滞した会議の空気をたたきこわすような語気で言った。
その理由は、二〇三高地が陥ちて、このため旅順市街と旅順港内に日本の砲弾がとめどなく落ちはじめたとはいえ、堡塁の大部分はなお生きている、これを再編成するだけのことだ、と力説した。彼の言うところでは、
「二〇三高地をとられたため、もはや鳩湾付近の陣地に兵を置いておく必要はない。この方面の守備隊を老鉄山に退却させ、ここの防御を強固に編成し、この老鉄山をもって、本防御線左翼の拠点たらしめます」
ということであった。
フォーク少将はおどろいた。老鉄山などは要塞の最後方で、背後は海である。最後は老鉄山で防ぐという思想がここで成立するということは最後の一兵まで戦うということであり、それどころかおそらく老鉄山防御にいたるまでのあいだに今現在の兵力の三分の二は失うべく、あるいはステッセルも自分も生存は不可能かも知れない。フォークはそう思い、
「君の案は結構だが、兵はどこにいる。戦うべき兵の大半は病院にしかいないではないか」
と言った。大半・・ というのは大げさであろう。いま現在、旅順の各病院は傷病兵であふれていたが、それでも正確な数字は六二七六人であった。コンドラチェンコはその数字をあげ、
「これら患者の栄養を良好にしてその回復を早め、逐次戦線に復帰させます。さらに艦隊はこのままではことごとく沈みましょう。その人員を陸上防衛にまわします」
と、主張した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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