〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/10 (日) 

水 師 営 (一)

ステッセルがその籠城中、麾下の将兵の人心を得ていたという事実は、どうにも見つけだしにくい。
軍隊心理からいって、戦闘中の軍隊で部下の信望を得るという原理は、ごく単純であった。もともよく・・ 戦う指揮官であればいいというだけである。よく・・ とは、勇敢でしかも的確な判断力を持ち、戦闘を遂行する以外に余分の感情を持たないという条件が不可欠であった。
兵士というのは、ただ命令されるだけの可憐な存在だが、受け身の立場にあるだけに自分たちを死地に連れて行く指揮官がどの程度の質のものであるかを見抜く嗅覚きゅうかく は、ほとんど動物本能のようにして持っている。
しかも彼らが常に望んでいるのは、よき戦闘者としての指揮官であった。その命令に従ってゆくだけでその前途に勝利があるという信仰を持ち得る指揮官であり、そういう場合、戦闘がいかに惨烈の極所に立ちいたっても、兵士たちは十分に堪えてゆく。が、逆の場合、その指揮官がいかに兵士たちにこび を売り、おだて、たくみな演説をしようとも、彼らは決して鼓舞されることなく、その指揮官への軽蔑を深めるだけのものであった。
旅順の下級将校を含め兵士たちに大半が、自分たちの運命の握り手であるステッセルの能力について、
「あの将軍では、戦争はうまくゆかない」
ということを感じていた。しかもステッセルの官僚臭を鋭敏に ぎとり、ステッセルの関心が祖国よりも、彼一個の栄達にあるということを見抜いており、そういう見方がほとんど常識のようになっていた。
ステッセルは、たしかに有能とは言い難かった。
無能な指揮官が、その無能を隠蔽いんぺい するために、みずから風紀係になったように軍律風紀のことばかりをやかましく言う例は軍隊社会にふんだんに見られるが、ステッセルもそうであった。彼はまるで儀仗兵ぎじょうへい の指揮官のように行儀をやかましく言い、砲台にチリ一つ落ちていても兵士どもをどなりつけ、なによりも軍隊における荘重美を好んだ。このあたり、バルチック艦隊のロジェストウェンスキーに酷似しているであろう。
が、ロジェストウェンスキーは、その点にあまりやかましいために孤独であった。しかも孤独を恐れぬ強さがあった。ロジェストウェンスキーは幕僚のたれをも愛さなかった。側近を愛さずとも平気でいられる神経を持っていた。
それに比べてステッセルは、より女性的であったと言っていい。戦前から旅順の社交界の中心人物であった彼は、社交の友を欲し、幕僚のうちでも自分におべっかする者を偏愛し、その献言をつねに採用した。このためステッセルのまわりはそういう雰囲気が充満し、患者のサロンというほどでないにしても、智者や勇者の意見が素直に通るような空気ではなかった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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