〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/10 (日) 

水 師 営 (二)

要するにステッセルは平和な時代のサロンの将軍にすぎないのか、といえばそうでもなさそうである。
サロン風という点でいえば、彼のその部分は、病的なまでに領域意識が強すぎることであった。秩序好きの性格というのは、えてして動物的な領分意識の患者である。彼は旅順にあって、海軍と張り合った。
旅順攻防戦がまだ初期のころは、彼の敵は日本軍よりもむしろ港内の艦隊であった。
「艦隊は出て行け」
と、公私の場で偏執的なほどに主張した。
また旅順艦隊の司令長官マカロフがまだ生きているころ、マカロフは老鉄山の戦略的意義に着目した。港内に旅順艦隊がいる、老鉄山をはさんで港外に日本艦隊がいる、その日本艦隊の一部が、しばしば老鉄山ごしに港内へ砲弾をうちこんだことがある。むろん、山にさえぎられた向こう側を射つため当てずっぽうであったが、このことは多少の心理的動揺を艦隊に与えた。
ごう っ」
と射っては、逃げて行く、逃げ足の速さから見て、巡洋艦であることはロシア側にわかっていた。日本海軍は、日清戦争以来、造艦造機技術をみがき、原則として主力艦は外航船、補助艦は国産ということでやってきた。ロシア側は、
── あんな妙な軍艦を日本は造ったのか。
とおどろいた。妙な、とは逃げ足の速さもさることながら、老鉄山砲台から外洋をにらんでいる巨砲群の射程外からこの軍艦は射つのである。ざっと二万メートルの射程で射つ。
実は、この軍艦は一等巡洋艦春日で、いうまでもなく日本製ではない。イタリア製であった。その主砲の特徴は、うんと高い仰角がきくようになっている。まるで天に向かって射つように砲口を上げ、老鉄山越しに砲弾を港内に送っては、老鉄山砲台の砲弾につかまらぬように逃げる。マカロフはそれを見て、
── 逆もまた可ではないか。
として、港内の旅順艦隊から、老鉄山ごしに港外の日本艦隊を射つことを考えた。それには老鉄山の山頂に観測所を置くことが必要であった。それをステッセルに申し出た。
ところがステッセルは、きびしくはねつけたのである。理由は、老鉄山は陸軍のナワ張りであるということだけだった。
「老鉄山に海軍の観測所をゆるせば、やがて海軍は図に乗って白狼湾や老虎尾半島に観測所を設けたがったりして、ついに要塞を海軍に占領されてしまうかもしれない」
という、ちょっと考えられないことをステッセルは言ったという説もある。
結局は、老鉄山に海軍の観測所が設けられたが、役には立たなかった。名将といわれたマカロフにも、誤算があった。旅順艦隊の砲の射程は、港内から老鉄山越しに港外を射つこtが出来ても、射つことが出来るという程度で、日本の春日ほどの射程はもっていない。
そういうマカロフの誤算は余談として くにしても、要するにステッセルの神経の多くの部分が海軍への領域意識のために消費された。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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