〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/07 (木) 

海 濤 (十六)

バルチック艦隊は、その遠征航海をつづけつつある。これだけの大艦隊が、ヨーロッパの北海から極東の海までそれこそ万里の波濤はとう をを蹴って遠征するというその事業そのももが、すでに英雄詩的であった。
それに対し、それを迎え撃つべき日本の作戦家が、東京の一隅の借家で、空豆を齧りながら天井をにらんで考えているということ自体が、洒脱しゃだつ を愛する日本の禅画めいていてなにやら滑稽であるともいえるであろう。ロシア士官のほとんどは貴族であったが、日本の作戦家の秋山真之の借家には、湯殿さえなかった。さいわい近所に妻の李子のほうの親戚があったため、そこへ貰い湯に行くのである。
真之の母のお貞は、
── せめて淳 (真之) が東京にいるあいだは淳の家に住みたい。
というので、真之が帰京した翌々日にこちらに来ている。お貞は、末っ子の真之がどうにも可愛いらしかった。
そのお貞が湯を貰いに行くとき、真之は彼女を軽々と背負って出かけた。いつもこうであった。軍服で背負って行く時もあった。
お貞はこれを嫌がって、
「はずかいいけん、おやめ」
と、そのつど体じゅうで反対するのだが、彼女の 「淳」 のいいところは、やることがすべて機能的で合理的であることだった。力の強い自分が背負って行くのが当然である、ひとに頼めばいちいち礼を言ったりして面倒だ、というだけのことで、さっさとお貞を背中に乗せ、近所の親戚まで連れて行く。
その親戚の家の者が、
「真之さん、バルチック艦隊はどうなっているのでしょう」
と聞くのだが、真之はそのつどかぶりをふり、
「それが分かれば、苦労はありません」
と、いっさいその話題に触れなかった。が、新聞も町の話題も、バルチック艦隊の来航に集中しており、それがどこどこの港に現れた、という外電が新聞に載る日などは、日本中の話題になった。真之らに湯を提供している家の人々にすれば、真之にそれを聞くのが当然であったろう。
「勝でしょうか」
と、聞いたりする。
その種の質問については、気が楽であった。
「勝ちます」
と、言っておけばよかった。まさか軍人である身で負けるとは言えないし、たしかに真之の頭の中では、勝つことは勝。
しかしながら一隻残らずそれを沈めよ、という絶対的課題を背負っている以上、それについての思案が大変だった。彼の頭の中には、バルチック艦隊の各艦の速力などはすべて入っており、むろん東郷艦隊の各戦隊の運動速力も記憶の中で躍っている。
それらさまざまな速力の艦艇が天井をにらんでいるその虚空こくう に絶えず入り乱れて
(この陣形はいかん)
と思うと、それを掻き消して、あらたな陣形をもって東郷艦隊が天井の波の上に浮かび、浮かぶと波を蹴って進みはじめるのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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