ともあれ、船がドックに入っている。 船乗りにとって、この期間は休養であり、真之も毎日軍令部にだけは出て行く。が、早目に帰って来る。 帰宅すると、 「枕」 と、李子に言い、軍服のまま寝ころんでしまう。じっと天井を見つづけている。 (一体どのようにして差しあげればいいのか) と、李子は毎日とまどう気持でいる。茶を運んで来ても、顔が天井に向いたまま、動かない。李子は茶を枕のしばに置くが、結局は冷えてしまっている。 「空豆
」 と、言うときもある。真之はヨーロッパでも艦隊勤務でも、いつも煎い
った空豆を上衣のポケットに入れていたし、今度東京に戻って軍令部へ行く時も、ポケットを空豆でふくらませて、齧かじ
りながら歩いている。 つい最近も、三笠の艦上から母親に出した手紙の末尾にも、 「腕・
豆及空豆、二三斗計ばか リイリテ御送被下度おおくりくだされたく候」 と、ねだった。煎り方はどうも、母親でないとうまくゆかない。李子は、このためわざわざ姑しゅうとめ
のお貞に煎り方を習ったぐらいであった。 ともあれ、自宅での真之は飯を食っている以外は、ずっと天井をながめている。 真之がながめている天井は、李子にとってはただの天井だが、真之にとってはそこに正確無比な日本列島があった。内海があり外海があり、海は東シナ海から、日本海、太平洋、オホーツク海まで広がっている。 (バルチック艦隊は、どこをどう来るか) という課題が、日本国そのものの存亡にかかっていた。日本の太平洋岸をまわってはるか北方からウラジオストックに入るか、それとも日本海を経過するか、そのことは、バルチック艦隊司令長官であるロジェストウェンスキーと神のみが知っていることであったが。が、日本としてはこれを迎撃する艦隊を一セットしかもっていないため、太平洋と日本海の二ヶ所で待ち伏せることは出来ないのである。 そのどちらかをとって、あとは賭けねばならない。が、その研究と賭博は、真之だけの仕事でなく、軍令部あげてのしごとであった。 ただし、バルチック艦隊がやって来てからの作戦は、すべて真之の仕事である。至上命令として要求されている事は勝というような簡単な事ではなかった。一艦のこらず沈めるという、世界戦史上かつてない要求が、連合艦隊を拘束しているのである。 三艦、四艦が生き残ったりしてウラジオストックへ遁走とんそう
させれば、それが日本の海上輸送の大脅威になって満州における陸軍の死活の問題になるであろう。 真之が、毎日、気がおかしくなるほどに考え込んでいる課題は、これであった。彼はすでに、その原則は建てた。 「七段構えの戦法」 といわれるものであり、この戦法は、彼がかつて小笠原長生から借りた日本水軍の古戦法から発想したものであった。それが果たして効果があるかどうか、天井にありありとえがかれている日本列島の海域の中で、敵味方の艦艇を駈けまわらせながら、考え込んでいるのである。 |