柳樹房には駅の設備がなく、草原に列車が停まるだけのことであることについては、すでに述べた。 汽車が停まるとすぐ機関助手が跳び下りて、乗車口の下に石炭箱を置く、というかたちにする。 汽車は、近づいている。 乃木希典は、東郷が海上からやって来るというので、幕僚を率いてこのレールわきまで迎えに来ていた。 この日、めずらしく風がない。冬の昼下がりの太陽が、凍った雪をあたためていたが、それでも馬に乗りつづけていると、長靴の中の足が凍ってくるおそれがあった。どの幕僚も、馬から降りていた。それぞれの馬は、司令部の下士官や兵たちが手綱を預ってひとまとめにしていた。 乃木だけが、馬上にあった。 やがて汽車が近づくと、乃木は急いで馬から降りた。 汽車がとまり、石炭箱が置かれた。 東郷の小さい体が降りてきた時、乃木は駈け寄るようにして、手を握った。 「やァ、と一言言われたきり、両大将はしばらく言葉もありません」 と、飯田久恒は語っている。 東郷の幕僚である真之は、東郷から離れて乃木幕僚の群れに入った。 乃木と東郷は、先頭を歩いた。柳樹房の軍司令部まで四、五丁の距離であった。その間、両人とも一言の会話もなかった。 「どちらも、何ともお話がありません。ただコツコツとお歩きになって行きます」 と、飯田が回想する。東郷の背後に、真之と飯田がついていた。正直なところ、どういう話がおこなわれるか、両人にとって多少の劇的関心があった。しかし、乃木は元来無口な人物だったし、東郷はそれ以上に無口な人物であった。黙々と歩いた。
やがて、柳樹房の司令部に着いた。軍司令部の建物はさきに述べたように百姓屋敷で、このあたいrの家々の規模としては決して小さなものではなかったが、しかし飯田久恒の目には、 「ごく小さなシナ人小屋であります」 とおいうふうに見えた。 「お二人は、この小屋
にお入りになりました」 ということで、軍司令部に入ったのは両将だけで、陸海軍の幕僚たちはすべて遠慮した。この小屋・・
の中でどういう会話がおこなわれたか、たれも分からない。西洋の慣例なら、この場合、記録係のような者を入れるであろう。しかし乃木も東郷も明治人で、そのような配慮はなかった。さらに回想録を書くような習慣を持たなかったから、ついにこの中での会話が分からない。 ただ、真之や飯田久恒が想像するに、二〇三高地攻略をピークとする旅順攻撃の労を東郷はねぎらい、謝したであろう。かつ乃木が二児を失ったことを東郷は弔したであろう。さらにこの訪問の最大の主題として、東郷は、 「私は、封鎖を解いて本国へ帰ります」 と、報告し、挨拶したであろう。 この間、なお日露両軍のあいだに、遠雷のように砲声の交換が行われつづけていた。 |