〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/02 (土) 

海 濤 (八)

東郷が、乃木を訪ねようとしている目的には、まず二〇三高地を陥としてくれた礼と、次いで乃木が二児を戦死させたことについての弔意を述べるということがあるであろう。
この目的の第二の点については、東郷という、戦時艦隊の将帥としての次元と、このような世間的礼儀の次元とが違いすぎるようであったが、しかし、この時代の人間の感覚としては、むしろこれが尋常であった。東郷も乃木も、江戸期の武士である自分を十分以上に保っていた。武士のもっとも重要な課題のひとつは、情義というものであった。
東郷の乃木訪問の目的の一つがそれであったことは、のち東郷が佐世保に帰り、大本営への報告のために東上した時、大本営での報告が済んだあと、彼はどこにも寄らず、まっすぐに新坂の乃木邸へ行き、乃木婦人静子を見舞ったことでもわかる。
目的の三番目は、
「自分の旅順口外での任務は終わった。これで本国へ帰ります」
という挨拶を、東郷は旅順における戦友であった乃木に対してしておきたかったに違いない。
以上のことは、東郷自身は明らかにしていない。真之も黙っていた。ただ真之や飯田久恒などがそのように臆測したにすぎないのだが、ほぼ当っているであろう。
真之は、よく、
── 自分は新時代の生まれだから。
と、言った。
新時代というのは、真之が明治元年生まれであるという意味であった。だから自分たちは頭が新しいという意味ではなさそうで、むしろ卑下するときに使った。武士というものがなくなる時代に生まれたため、武士的な素養をまり身につけていない、という意味のことをいう場合に使った。真之だけでなく、彼の世代の連中は、旧式な人間を軽侮する一方、同時に典型的武士像というものへのあこがれをたいていが持っていた。真之が、広瀬武夫を生涯の友人であるろしたのは、広瀬が自分と同世代の人間ながら武士的教養を持ち、懸命に武士であろうとしたところに魅かれたといえるであろう。
真之は、東郷をそのような範疇はんちゅう の人間としてみていたし、乃木をさらにいっそうそのような目でとらえていた。
彼は二〇三高地の攻防戦の最中、乃木軍司令部の客として常駐している海軍参謀に対し、しばしば陸戦の戦略戦術についての意見を述べる手紙を書いているが、そのなかで乃木に対するその意味での尊敬の気持を、例の るような文章で幾度か書いている。
いずれにせよ、この多分に劇的なことに心の昂揚しやすい元来の文学青年は、東郷が乃木に会いに行くという今度の柳樹房行きについては、彼の脳裡にきわめて劇的な想像の構成がすでに準備されていた。
会見後、真之は大本営の同僚にやった手紙の中に、
── この両将会見の状況だけは、筆紙に尽すところにあらず。
という文章を書いている。二〇三高地の陥落が、東郷艦隊を旅順の束縛から解放させたというその巨大な劇的背景が、この会見をいっそう劇的にさせていることを、立場上、真之以上に痛感した者は少ないであろう。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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