〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/02 (土) 

海 濤 (七)

この日、冬期ながら遼東半島一帯は、日本軍上陸以来といっていいほどの快天であり、夕方になって雲をさがすのが困難なほどであった。
夕方、東郷は大連に上陸し、港務部に入った。飯田久恒少佐と二人連れで、護衛兵もついていない。埠頭ふとう には清国の苦力クーリー がむらがっていたが、この二人連れの海軍軍人の一人が、日本の連合艦隊の司令長官であることは、たれも気づかなかった。
彼が泊った赤レンガの建物は、かつてロシアが港湾部に使っていたものらしいが、日本軍もここに同様の機能の組織を置き、同時に大連防備隊の司令部をも置いた。
東郷は、二階に部屋をとった。窓は大連湾に面しており、窓からのぞくと、目の前にロシア人が築いた防波堤が真正面に見える。その左手から港をかばうようにして、香炉礁こうろしょう という小さな岬が突き出ている。
ロシア帝国が遼東半島に強引に居すわってここに港市を築いたのは明治三十一年である。それまでは、漁村の点在するさびしい海浜であったにすぎない。ロシアはここに大都市を建設し、極東における支配中軸にしようとした。かつて清国人が青泥窪チンニーワー と呼んでいたこの土地を、ロシア人はあらためてダルニーと命名した。
東郷がこのに一夜を過ごしたこの時期にはまだ日本人からもダルニーと呼ばれていて、大連という別称は存在したものの、まだ正称ではなかった。大連が正称になるのは、明治三十八年からである。
翌朝、東郷の指図通り、参謀秋山真之がやって来た。
東郷は、階下へ降りた。真之は、玄関で敬礼した。
あと、両人とも無言である。べつに喋る用件もなかった。飯田ともども建物を出た。すでに汽車の用意は出来ていた。
彼らは柳樹房の乃木軍司令部へ行く。ただ彼らを送るだけが目的の列車が、この建物のすぐそばで待っていた。乃木軍から迎えの将校が来ている。一同、乗車した。乗るとともに、汽車が動きだしたが、ほとんど揺れない。広軌のせいであろう。
柳樹房に着くまでの間、出迎えの陸軍将校が、二〇三高地陥落後の戦況について説明した。
むろん二〇三高地が陥落したとはいえ、その後方にあってはなお、第二、第三の防御線が強靭きょうじん に生き残っており、とくに二竜山堡塁と松樹山堡塁という八月以来、日本人の血を吸いつづけてきた堡塁はなお健在であった。
しかし二〇三高地陥落以後、乃木軍司令部の攻略作業はずいぶん楽にはなっていた。
主として砲兵力をもって敵の力を弱めつつ、一方、これらの堡塁に向かって坑道を掘り進めて行くという以前からのやりかたに主力をそそぎ、坑道が堡塁下に入れば、強力な爆薬をつかって爆破するという方法をとっていた。この日の前々日の十八日、この方法によって、かつて幾万の日本兵を死傷させた東鶏冠山ひがしけいかんざん 堡塁の堡塁下まで掘進くっしん し、これを爆破してしまった。
「あと十日以内に、二竜山も松樹山も爆破できます」
と、陸軍将校は言った。この将校は、かつて児玉源太郎の出迎えに行った軍司令部参謀副長大庭二郎中佐である。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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