ところが、故障が出た。 司令長官東郷平八郎が、 ──
自分で見に行く。 と、言いだしたのである。 じつのところ、東郷はその夕食のときに同席していた。 飯田久恒少佐が、 ── 明朝、私が見に行きます。 という言葉も聞いていたのである。そのときは東郷は彼の特徴である沈黙のなかにいた。だまってナイフとフォークを様子よくつかいつづけていた。 そのあと自室に入るなり、秋山真之を呼んだのである。真之が入って行くと、東郷は時候の挨拶でもするようなさりげなさで、 「明朝、私はセヴァストーポリを見に行きますから、その用意をしておいて下さい」 と言ったのである。 真之は、驚かなかった。頭が機敏にまわりすぎるのが欠点である真之は、東郷の発言の重大さに驚くよりも、飯田の席がはしのほうで、飯田の発言が聞こえなかったにちがいない。 「いや、その件については、目のいい飯田少佐が参りますので」 と、ごく事務的に言った。 東郷は、真之のそういう態度が、ときに小癪
にさわるらしい。東郷にしてはやや露骨に眉をしかめてみせた。分かりきった事は言うな、という意味であったろう。 「私が、行くのだ。飯田少佐が同行するならばかまわない」 と、言う。その語気は、飯田少佐と同じほどに目のいい人間がたとえ百人行こうとも、自分はその報告を信じがたい気持である。この件にかぎって自分が自分の目でたしかめたい、という言葉が、一時間の演説の量ほどに詰まっていたようであった。東郷のこの執心は、もっともであったであろう。
真之は、そのことに想いをひそめてみれば、東郷の気持が理解できるはずであった。 この夏からの旅順攻撃において陸軍の士卒をあれほど死なせた戦略要請というものは、港内にいる旅順艦隊の健在問題であった。いま、セヴァストーポリ一隻を残してことごとく沈んだ。国家の危難がようやく過ぎたかのように思われるが、が、しかし実際に過ぎたか、現実にセヴァストーポリは沈んだか、ということになると、東郷は、この十ヶ月の間の心労があまりにも大きかっただけに、神経症的な正確さを期したい心理状態にある。 東郷自身、自分の目で沈んでいることを目撃してはじめて彼は全艦を率いて佐世保へ帰り、バルチック艦隊を迎撃する用意にとりかかれるのである。 「わかりました」 と、真之はいくぶん、顔色を青ざめさせ、東郷の部屋を出た。それを東郷が見に行くことによって、東郷は爆死するかも知れない。いま連合艦隊司令長官を失えば、どれだけ艦隊の士気に影響するか、測り知れなかった。 真之は、参謀長島村速雄はやお
少将に報告した。聞くなり、島村の大きな顔が、こわばった。 「お諫め申してくる」 と、島村は突進するようにして東郷の部屋に入ったが、すぐ出て来て、真之のそばを通りすぎた。すみにいる飯田少佐のそばへ行くと、 「どうにもならん、長官がご自身で行くといわれる」 と、事態が変わったことを告げた。
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