〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/04/29 (水) 

海 濤 (三)

十二月二十六日の夜、三笠の幕僚たちが夕食をしたとき、自然、話題が、全員の気がかりになっていることに集中した。
「セヴァストーポリは、たしかに沈んだか」
ということである。
このロシア戦艦を八日間、毎夜交代で襲撃した各水雷艇の艦長の報告によれば、たしかにセヴァストーポリは沈んでいる。が、その報告を三笠がうたがった。疑ったことについては、十分の理由があった。
まずこの当時の水雷艇の攻撃能力についてである。さる二月八日、旅順口外のロシア艦隊を日本の駆逐艦が夜襲したとき、いかに初陣とはいえ、その成績は惨澹たるものであった。二十本ばかりの魚雷を射って、わずか三艦に軽傷を負わせただけであった。遠くから臆病射ちをしたといわれても仕方がないであろう。しかも夜襲の実施部隊というものは、発射するとすぐ離脱せねばならぬため、戦果を確認する事が出来ない。
── ほぼ命中。大破せるもののごとし。
といった調子の報告でしかなかった。
この戦艦セヴァストーポリの場合もそうである。実施部隊からの報告では、とっくに沈んでいる。であるのに、三笠はなお水雷艇を繰り出し、入念に攻撃した。夜襲部隊の報告などを信じてその上で方針を立てればとんでもないことになるという気持が、すべての幕僚にあった。
理由の第二は、きわめて心理的なことであった。
── もし戦艦セヴァストーポリ一艦といえども健在ならば、東郷艦隊は旅順封鎖を解くことが出来ない。
という作戦上の大命題からの圧迫感が、東郷とその幕僚の気持を、針のさき のようにとがらせている。もしセヴァストーポリが、水雷攻撃を受けながらいわば死んだ真似をし、あとになって極東水域であばれはじめたなら、東郷艦隊の十ヶ月の封鎖の苦労というものが水の泡になり、乃木軍士卒の六割以上が死傷したという空前のエネルギー消耗が、無意味になってしまうのである。
たまたま第二艦隊 (旗艦出雲) の巡洋艦磐手に乗っている少佐飯田久恒という者が聞いていて、
「私は、遠目が利きます。あすの朝、見て参りましょう」
と、申し出た。
みな賛同した。この飯田のために、速力の早い輸送船を出すことにした。途中、頭上には敵の砲弾が生きてなお活動しており、海面下には機雷が沈置されていてきわめて危険であったが、一少佐がそれを見に行くことでたとえ死んでも、その死に意義はあった。
「このことが食卓の上でほぼ決まったのです」
と、のちに中将になった飯田久恒が語っている。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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